災害時の避難所の在り方はこれでいい?

避難所は「我慢が当たり前」の場所ではない!

 

 

 

若い頃から違和感を覚えていたのは学校給食を教室で食べることと、災害時の避難所の在り方だった。まず、なぜ教室で食事をするのが変かといえば、普通、家では食事はダイニングキッチンで食べる。というのも食事というのは緊張感を緩め、いわば隙を見せてしまうものだ。ところが、教室は学び勉強する場所で大げさに言えば一種聖域的なところ。少なくとも、私はそういう雰囲気がほしかった。それというのも食べ物というのは独特な臭いがあり、それはすぐ消えるのではないからだ。その生活感のある臭いと、文化を習得する学問という感覚が何となく齟齬感をもたらす。

 

 

それに、高校生位になると、早弁は禁止されているにもかかわらず不謹慎な男子は平然と早弁をする者もいて、お弁当にタクワンなどが入っていたりすると、その独特な香りが漂ってなかなか抜けない。その違和感が、何だか思春期の私にはあったのだ。とにかく、お腹が空く育ち盛りの男子生徒の物理的欲求を理解するとしても、何故かこの食べ物の臭い漂う生活感のある教室で、物を学ぶという在り方そのものが私を惨めにした。多分、それは食と文化を分離できていない当時の日本の貧しさを象徴していたからだろう。その時は、それをうまく言葉にできなかった。

 

 

私たちの世代は敗戦の気配もまだ漂っていたから、、食と学ぶ場所すなわち文化を習得する場所が一緒になっていても仕方なかったかもしれない。なぜなら、国も貧しかったしほとんどの家庭も全体に貧しかった。食も学問もごった煮で、それこそ一間にちゃぶ台で過ごしていて一室で食と住を間に合わせるような生活の家庭が少なくなかった。特に東京では多くの住宅は焼失してしまっていて住宅そのものも少なく全体が家なき状態だったので、敗戦したのだからという括りでやむを得ないと思っていた。

 

 

 

しかしながら、こんな環境しか与えられない敗戦した大人たちを私は、どこか侮蔑していたような気がする。民主主義を教科書で教えながら、大人たちがしている校則とか規律は、前近代的で大抵は予定調和と協調性に依存していた。何かを主張しようと抜きん出ようとする者の多くは、体制から阻害されるか無視された。建前と本音が大抵は違っていて、芸術の世界でもお歳暮・御中元は欠かしてはならなかった。特に失望したのは、前衛映画を作っている監督が、大手新聞社に自分の著作本を贈ることを暗に要求したことだ。この国では芸術すらも取り引きの場でしかなかった。

 

 

 

私は国が豊かになれば、欧米のようなカフェテリアが整えられ、文化と食べる場所は、当然区別されるだろうと思っていた。しかし、高度成長を果たし世界第2位の経済大国になっても、カフェテリアはできなく、給食は勉学する場所で食べさせられていたようだった。私は子供がいないので詳細には知らないものの、そういう状況は現在までも延々と続いているようだ。(国立の小学校では立派なカフェテリアがあるようだが…。国立校はエリートを作る学校だから、一般校と差別しているのだろうか。)食も確かに文化に相違ない。それは子供達の心を育むことゆえの文化だが、どこで食するかどんな器で食べるかという余裕も文化を育てることに通ずるだろう。ただ食べるだけという括りならどこでもいいのだろうが、教室ではちょっと違う気がする。

 

 

 

日本は経済大国だとか先進国などと胸をはるならば、いつまでも給食を教室で食べさせるという非文化的・非美的な行為は止めて大国に相応しい教育環境を子供に与えるべきだと思う。それができる財力も、日本にはあるはずだ。財政不足を盾にそれをしないのは、時々の政権が教育に情熱をかけず世界一高い国会議員報酬や軍事費、そして他国に見返りもなく血税をばら撒きすぎたからであろう。つまり、未来の子供たちに注ぐべき予算を既得権者が吸い取ってしまっているからであろう。そのくせ戦時中の道徳教育を持ち出して、封建思想で子供達を塩漬けにし無償の教科書を配布するにも、子供に見返りを期待したような文面を添付したりする。

 

 

前振りが長くなってしまっているが、これに類したことが災害時の避難所にも言えるのではないかと思う。日本の避難所の形態は、いわゆる上位下達のこの国特有の有り様で解釈できるのではなかろうか。多くの災害は、政権政党と時の内閣などの失政による人災であったろう。被災者は被害者そのものだ。その最たるものは福島原発事故だったが、今度の西日本豪雨災害においても、初動の対応が遅れたことは決定的事実であろう。

 

 

安倍政権が災害対策本部を内閣に立ち上げたのは、7月8日9:00。非常災害対策本部会議(第1回)7月8日8:00でここで初めて非常災害対策本部設置されている。ところが、7月7日の0:30分には小田川で氾濫が起きているという。真備町の氾濫水害である。続いて未政川で水が噴出したのを近隣の方が見ている。それは住宅を直撃して、家が流され女性は後日遺体で発見されたという。1時間位の短い時間で水は2階の膝丈くらいまで浸水してしまったという。



この時間は真夜中である。つまり、漆黒の闇の中で、どこまで上がってくるか分からない恐怖と闘いながら、人々は逃げ惑っていた。屋根まで逃げた方もいたし、高齢の方は足が悪かったりして2階にも上れず溺死したようだった。これらの情報から推測すると、真夜中の1:30amまでには、2階まで上れなかった方は溺死してしまっていることになる。真備町で7月8日9:00 非常災害対策本部会議(第1回)の資料として上げられた全国の死者数は44名。少なくとも、この人数分は災害対策本部長である首相の責任において亡くなったといっていいだろう。つまり、災害本部長の災害に対する判断の甘さと遅さによるミスによって、国民が亡くなったということになる。


国民が河川の決壊・氾濫大雨で死の恐怖と戦っている最中、現首相は自分の権力維持のための酒宴をしていたということはネットに踊っている事実らしい。間違えば、これ一つとっても首相は災害対策本部長の資格はないし、かく証拠があれば欧米では起訴ものではなかろうか。しかし、マスコミが首相責任に言及しないのは国民が舐められきっているからであろう。災害にあった弱者は切り捨て御免の封建社会のように、物すらあてがってやるから感謝しろという対応が、あの体育館などに雑魚寝させられている被災者の姿に象徴されている。こうした劣悪な避難所にいさせられることで、被災者は二重の心のダメージを負うことになる。


 

 

こういう避難のあり方が余りにもポピュラーすぎて、難民のための国際条約などがあるとは不覚にも知らなかった。災害避難ならば体育館というパターンが動かしようもない事実として、私の頭に刻印されてしまったのかもしれない。避難所が体育館というあり方はどこか違うと思いつつ、所詮、避難体験をしない限り無関係であるという逃げ道が、私の中に残されていて自分のこととして本気に考えようとしなかったことも事実だった。本当は、被害者ほど最低限のベッドと食べ物とプライバシーは保障されなければならないはずなのにである。被災者は空腹で、食べるのも眠る場所も喪ったからである。それは人が生きる基本だ。それゆえ、優先されなければならないはずだろう。

 

 

このことを税金を支払って国家を形成している一員としての権利と見るのか、自助を基本とする国家ゆえ国から助けてもらっている対象と捉えるかでその対応は違ってくるのだろう。

 

日本は人権というものについて、国のトップが分かっていない進化していない封建国家である。天皇を頂点として成立している国なので、骨の髄までそのピラミッドを自己認識の中から崩せないのだ。変だと思っていても、改革することに国民は慣れていないし、諦めが先にたってしまい結局、戦後も70年余も経過していながら民法の封建制すら改革できていない。

 

戦争に負けていなかったら、女性たちは参政権も持てなかったし強姦されても堕胎すらできず闇で下ろすしかなかったという。優生保護法は、そういう女性のための救済として施行されたという経緯もあったようだ。無論、障がい者の承認なく不妊手術をしたことも事実のようで人権侵害の面もあったが…。

 

 

 

前回トイレ問題を取り上げたが、トイレの劣悪な環境も被災者たちの「飲まない・食べない」という行動に直結してしまい、結果、心臓腎臓、血管など災害死の誘引となってしまっているという。夏は暑く冬は寒いというのもストレスとなるだろうし、プライバシーがないということも、精神的にも追い詰められるキッカケを作る原因ともなるだろう。人の精神は、強そうでもろく弱い。プライバシーがないと、安心して眠ることもできず精神的にも追い込まれる。多くのものを喪っている被害者に対して、劣悪な環境の避難所は心が傷つくだけの場所であろう。それでも平気という人も中にはいるかもしれないが、そういう方でもより安らかに熟睡できプライバシーも保障されている環境を歓迎しない人は少ないだろう。



実際に、熊本地震で「災害関連死」と認定された人は211人。地震の直接の影響で亡くなった50人の4倍以上に達したそうだ。専門家は避難所の苛酷な環境とか、避難所を避けて車中泊を選んだことが原因だと分析している。車中泊をするのは、避難所にプライバシーがないことを証明しているようなものだろう。日本では、避難所は地震などで家を失った人が当面に雨風をしのぐ場所として設置されてきて、この形が長く続いてきた。しかし、実際は避難所には国際的な基準があり、これまでの日本の多くの避難所は、この準を下回っていたと指摘されているそうだ。


スペースは1人最低3.5㎡  トイレは20人に1つ

それはスフィア基準という国際基準で、被災者は権利として最低限の安全が保障されているという。例えば、居住空間は1人あたり最低3.5平方メートル確保することとか、トイレは20人に1つ準備することなどだ。大地震が起きたイタリアの避難所では発生から72時間以内に、家族ごとにテントやベッドが支給されたそうだ。

 

海外では、避難所で、スフィア基準が当たり前のように使われているという。日本のパンフレットにはこの基準については紹介はしてあるもののそれを避難所に当てはめようとは思っていないよう…。実際の責任も自治体が負っているのだが、人員も限りがあってなかなか理想のケアを実施するのは難しい状況にあるようだ。

 

 

それゆえ国が対応していけばいいのだろうが、被災者は憔悴しきっていて要望する気力も失せているだろうし、国会議員も結局は避難所改革をしても票にもならないので、できたら手をつける気にもならないのであろう。しかし、日本は第3位の経済大国である。国際基準がありながらそれを遵守しようとしないのは、先進国としてみっともなくはないだろうか。

 

今1番傷ついた方々を保護し安眠させないで災害関連死に追い込むのは、人道的にも国民軽視に当たらないだろうか。こうした避難所改革は、国会議員の超党派でもできることだろうに…。心ある議員がいたら、是非とも各国がどんな災害に対して、どんな取り組みをしているのか紹介してもらいたいものである。
 

 

<おはよう日本> 特集ダイジェストまとめ

 

避難所は「我慢が当たり前」の場所ではない!

 

<span style="color:#0000ff;">https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2018/04/0417.html</span>

 

避難してきた人を劣悪な環境に置くことで、関連死に追い込むことは、せっかく命が助かった人を再度見放すことと変わらない。問題は災害は国家的人災でもあるにもかかわらず、その修復を自治体任せにすることだ。災害当初、自治体は混乱を呈しているし人数的には不足することは目にみえているだろう。当初危機に瀕した被災者が避難所で安全と安心の心を養い、次のステップに踏み出せるようにするためには、国がイ二シャティブを取って然るべき環境を整えることは、いわば国家としての義務ではなかろうか。被災者は日本国民として最低限の生きるべき環境を受けうる権利があると私は思う。
 

あとは、ツイッターで発展的意見を紹介させていただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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✻今回は、避難所について考えてみました。

 

✻なお、台風は一時尾道直撃とニュース速報にテロップが出て焦りましたが、なぜか微風とおしめり位の雨で済みまして気抜けしたものでした。