オリンピックを観ていると、いつも胸がキュンとする。
わたしも中学生まではずっと短距離ランナーで、
大会があればいつも出場してました。
スタートラインに立つのがいつも怖くてねぇ。。。
心臓が口から飛び出しそうになって。。。
部活がバスケだったので、走るのは大会の時だけだったんですけど、
そのバスケの試合前にじん帯を損傷して病院へ担ぎ込まれ、
それ以降は体育の先生達は腫れ物に触るかのような扱いで、
大会がある度、
「来年があるからな。
気を落とすなよ」
そう言ったけど、実はわたし本人は
あの口から心臓飛び出るような思いをしなくていいと
ホッとしてたんですよ。
ところが、3年生になった時、担任の先生が
体育祭のリレーのアンカーをやってくれと言って来て、
わたしは、
「でも・・・足が。。。」
と、もう痛くもかゆくもない足の怪我のせいにして辞退しようとしたら、
「怪我以来、ずっと走らずに中学生活を終わったら
キミ自身が納得できないまま終わるんじゃないか?」
そう言われました。
その先生、わたしが二年生の時に別な学校から来た先生で、
「キミの走ってる姿、先生は一度も見たことがない。
他の先生からの噂でしか聞いたことがないから、
一度見せて欲しいんだ」
・・・と。
一年以上走ってなかったわたし・・・。
走ってみたいキモチと、恐怖心が交差していて・・・。
結局、走ることにしました。
一年数か月ぶりのリレー。
クラスメイトは、わたしがアンカーで走るんだから
スタートはゆるくても大丈夫だよ、
アンカーで抜いてくれるよ・・・と言ってたっけ。
二位で入った友達からバトンを受け取って走ったら、
足が・・・重たい。。。
上半身だけが、
キモチだけが、
前へ前へと倒れこもうとする。
そして、わたしの横に誰かが・・・・。
そう。
思いっきりわたしは、、、抜かれました。
まるで風が通り越していったみたいに、ス~ッと追い越された。
ゴールした時には、絶望感で一杯でした。
抜かれた経験がなかったから、
負けた悔しさで一杯になってました。
友達は、
「仕方ないよ。
怪我して長いこと走ってなかったんだから」
と次々に慰めの言葉をくれたけど、
当時のわたしにはそれが惨めで惨めで・・・。
その場にしゃがみ込んで「わーーーーっ」と泣きたい気持ちを堪えて、
帰り道でボロボロ泣いた。
わたしが3年生の時、2歳違いの妹は一年生でいて、
そのぶざまな姿を見てたんですよ。
家に帰ると、家族が、
「どうだったの?
ちゃんと走れたの?」
と次々に聞いてきて、またまた泣きたい気持ちを堪えて、
「抜かれた。。。
○○ちゃんに抜かれた・・・」
そう言ったら、妹が、
「でもね、すごかったんだよ!
一年以上も走ってなかったのにかっこ良かったんだよ。
わたしの友達も、先輩はやっぱりかっこいいって言ってたもん!」
そう早口で話しました。
目には、涙一杯浮かべて・・・。
わたしの悔しさを、妹は察してたんです。
そしたら、抜かれたことなんてどーでもいい気がしてきて、
「かっちょ悪いとこ見てんじゃねーよ!」
と、妹の頭を小突いてたわたし。
わたしをアンカーに指名した担任の先生は
翌日わたしに言いました。
「昨日はご苦労様。
キミのプライドは傷ついたかもしれないけど、
負けるということもキミは味わっておく方がいいと先生は思ったんだ」
そう、先生は最初っから一年以上ブランクのあるわたしに
期待はしていなかったというか、
この結末を予想していたらしい。
「負けるということは、終りじゃないんだよ。
負けを知らないことの方がこの先どれだけ怖いか。
たくさん負けて、たくさん悔しさを知って
そこから学べることがある。
貴重な負けだったと思って先生を許して欲しい」・・・と。
だからね、オリンピックに出てる選手の誰もが
すでに目には見えない金メダルを下げてると思うんですよね。
目に見えるメダルだけが意義あるものじゃない。
わたしはそう思って、ひとつひとつの種目を観戦してます。
オリンピック観戦の度に、あの日す~っと抜かれた記憶と、
妹の涙目の横顔と、
先生の言葉が昨日のことみたいに思い出されるんです。
わたしは、いい大人に囲まれ、
いい先生に恵まれ、
いい家族に助けられてきたな~って感じます。
勝負の世界で勝ち負けはつきもの。
けど、大人になったら日々がまるで勝負だった。
そして、誰かに負ける度、
「人に勝つことだけが全てじゃ~ない。
自分に負けた時が一番の惨めなんだ」
そう思ってケロッとやってきてます。
先生があの日言ったように、
わたしにとってあの大会で抜かれたことは
貴重な負けだと心底思えます。
そして、自分に勝つことを知った瞬間だったのかもしれないなぁ~。






