震災から8カ月の偽らざるわたしのキモチ | 茨城在住デザイナーSAYO時間

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SAYOの日々のあれこれをここで発信します。


今日で震災から8カ月。


そしてまた、季節は一巡して


冬へと向かおうとしてます。



2011年。


震災、


原発事故、


そして・・・


わたしの母は大腸がん手術をして人工肛門となり、


今度はダンナ氏が人工肛門。。。



激動の年。



そんな中、ふと感じたことがあります。



微力ながらずっと復興支援活動をしてきましたが、


ダンナ氏が入院中、


わたしは一度たりとも被災地のことを考えたこと、ありませんでした。。。


そんな自分を発見した時、


つくづく感じたんです。



人に情けや優しさをかけるためには、


自分の足元が固まっていてのことなのだ、と。



そんなわたしを「冷たい人」と言われたら


おかえしする言葉もありません。



奇麗事で言葉を塗りたくるのはわたしらしくないし、


わたしではなくなっちゃうので


ありのままのキモチを


震災から8カ月の今日、書きますね。




日本を揺るがす大きな震災があり、


心ある方がたはみなさん復興へと願いを込めて


色々な支援をされてきました。



けど、中にはそうでない人もいましたよね?



何もしない、


何も叫ばない人達をよしとしない風潮が


少なくとも震災直後にはありましたが、


考えてみたら、


震災だけが悲劇ではなく、


こんな世の中ですから、


生きてくので一杯一杯で、


他を見れる余裕のない方もおられたことでしょう。



例えば、、、、


もし、うちのダンナ氏の手術と震災が同時期だったら


わたしは「何もしない側」に立っていたかもしれません。


そして、それを責められたとしても、


わたしは構わないと思ったことでしょう。



それ程に「家族」という小さな社会は


日本という大きな社会よりも


心の密度が高いのです。



活字だけのことですから、



「どんな時でもわたしは被災地を想ってました」と


嘘を書くのは簡単ですが、


それって、


そこまでして善人ぶる必要がどこにあるのか


わたしには意味を持ちません。



上から目線だったわたしの復興への支援を


つくづく自分で実感です。



そして、それをわきまえた上で、


やっとまた落ち着きを取り戻し始めたわたしは、


復興支援活動を致します。



義務感ではなく、


善意でもなく、


ただ、ダンナ氏が救われた「お陰様」の


感謝のお裾分けでする支援です。




復興支援。


したくても出来ない人、こんな世の中だから


たくさんたくさんいてると思います。


けど、それはそれでみなさん事情があってのこと。



お陰様の余裕がある人は


お裾分け支援でいいじゃないですか。



病院内にあるコンビニの募金箱に


いつもお釣りを募金してきてました。


けど、お金は入れても


被災地を想いやれていないその時の自分に


ふと気付き、今回ここで書かせて頂きました。



人の数だけ「事情」があります。



ひとつの事情をクリアしたわたしは、


また復興支援を細々と始めます。




被災地の皆さん、ごめんなさい・・・。



わたしにとっては、


わたしの家族が一番大事なんです。


ここが守れて、初めて支援ができてたんです。



ごめんなさい・・・。



わたしの偽らざるキモチです。








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