学びを阻むもの | 茨城在住デザイナーSAYO時間

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SAYOの日々のあれこれをここで発信します。


わたしは「物書き」という仕事もしていたので、


それなりに文献を読む機会も多く、


年間の読書量に関しては自負しておりました。



自分でも「知識」はある方だと信じて


物を書いてきました。



けどね・・・・・・・知識が「学び」の妨げになるってことを


つくづく知り始めました。



本で、


情報で得たことを「知ってる~」、、、となることの恐ろしさ。


それって、本当の「知」じゃ~ないんですよね。



例えば~、


ハンドメイドにしても同じで、


息子がやってきてる仕事を見ていて、



「あ~、バッグの作り方なら知ってる~」と言えますが、


だからといって、自分が出来るか、、、といったら


これは、別問題。


実際にやってみたら、


とんでもなく・・・・・・・・ややこしぃ~~~叫び




「食」の話にも通じるんですが、


動物の命を頂いてるというのは、


そりゃ~本や人づての話で


知識としてある子供は多いでしょう。



けど・・・その現場を目にしても食すことができるか。


ここ、大切です。



子供にそんなもの、見せるべきじゃないというご意見も


きっと多数あると思いますが、


食の大切さを知らせなくていいのかな・・・と思ったりするんですよ。



昨日は遠巻きに書きましたが、


息子に一度「殺(とさつ)」の場を見せたことがあります。



残酷です。



けど・・・それを知らずに食べてるのは、


もっと残酷な気がしたんです。



これは、人によって捉え方がまちまちなので、


そういう場を見せた方がいいですよ、、、などとは一概には言えません。


ただ、ぼんやり~と「聞いて知ってる」という子とは


やはり「命」に対しての扱いが息子は違います。



残酷を知ってるがゆえの「優しさ」ってあります。


表向きだけの優しさではなく、


奥底から沸き上がる優しさが・・・。



50歳になった私。



「教養」ではなく、


「知識」ではなく、


そういったものに邪魔されることなく、


本当の意味での「学び」を


これからもがむしゃらにしていきたいな~って感じてます。



まあ、わたしの「がむしゃら」は


人の5倍の低速回転ですがあせる