お母ちゃんとその後 | さーちゃんのブログ

さーちゃんのブログ

今日が一番若い日なんです

その後の母について。


2人の医師から治療の限界です、看取りの時期ですよ。と言われ、

いつその日が来てもいいように葬儀社と打ち合わせを行い、

準備をしていました。


そんなある日

施設の自分の部屋で転倒し

腰の骨を圧迫骨折。

それから2週間に一回の整形受診が始まり、

難病の定期受診もあり、送迎で忙しくなりました。


難病の前回の採血の結果では、なんと

数値が良くなっていて

驚きました。

もう、治療の限界と言われていたので奇跡です。


さて、本日、難病受診に行ってきました。

輸血にならないといいなと心配していましたが、

結果、前回よりもさらに良くなっていました。

どうしたことだろう?

なんでかな?

とにかく良かった。良かった。


急にその日来たらどうしようと心の中で心配し、

いつでも出動できるようにと思っていました。

仕事の日と重なったらどうしょう!大変な人手不足の職場ですから。

そのことを施設のお医者さんに話したら

「そんなこと気にしていたら、何もできない、どこにも行けませんよ」と。

その言葉に安堵しました。


そうですよね。

その日はいつかは誰もわからない。


それで先日、思いきって帰省と観光旅行に行ってきました


中学校の同窓会参加。

50年ぶりに会う人たちもいて

あまりの経年劣化(笑)、もちろん私も、に驚きました。

人の顔って50年経つと本当に変わるんですね。

面影の残っている人もいましたけど、全くわからない人も多く、

最初は名札を見ながら、ぎこちなく話していましたが、

そのうち同じ学校で過ごした、あの時代を思い出し、50年という長い空白が埋められたかのような時間となりました。


この年になると

1日1日がありがたい。

大切にして楽しく元気でいようね。頑張って生きようねというメッセージをやり取りしたかのようでした。


残念なことに亡くなっていた人が思いの外多く、

それには本当に驚き、悲しく思いました。

60代半ばなのに、早いです。

病気で亡くなった人、自死だった人もいます。

あと、行方不明者のように連絡が取れない人も結構いたようです。

どこで、何をしているのだろう?元気でいて欲しい。


同窓会は黙祷で始まりました。


仕事をしている人が多くいるということにも励まされました。


また、夏には小学校の同窓会があります。

小学校の同窓会はオリンピックの年と決まっています。


幹事さんが地元のえらいさんでその下に世話人さんたちが何人かいて、しっかりと組織されているんです。

だから、こうして同窓会が途絶えることなく開かれているわけです。


私の夫は今も地元で住んでるんですが、「同窓会は一度もないよ。

すごいパワーだね」と驚いています


70歳になる時には高校の古希の同窓会が開かれることが、決まっています。

還暦の時も同じ集まりがあったのですが、あっという間に10年が過ぎるんでしょうね。


人生は四苦八苦苦しみが多いのが当たり前、

でもその苦しみから魂を成長させ、良い人間になりなさい。

そして生きて良かったというような生き方をしなさいと神様からメッセージをもらってるような気がします。


さて、

母は軽い認知症がありますが、少しずつ進行しています。

携帯電話の使い方を忘れ、何度練習しても忘れてしまいます。

最近は自分の名前もすぐには出てきません。

「あれ!?何やったかな?

せやせや、○○です。

難しい名前やから、急に聞かれても困るわ」(難しくない)。


「お母ちゃん、病気良くなってるよ」

「そうなんや、まだ死なんやろなワハハ」


こんな感じのお母ちゃんです。