先生。

あきらめてはくれませんか。


どうしてわたしにそこまでできると思ってくれるのでしょう?

どうしてわたしをその高さまで引き上げようとしてくれるのでしょう?


わたしはもう精一杯なのです。

もうこれ以上ないくらい背伸びして、爪先立ちして手を伸ばし、
届こう、届きたいと、しているのです。

爪先立ちでジャンプして、それでもそこはあまりに高く、遠く。


どうしてわたしはそのくらい、そこまでだと納得してくれないのですか?

わたしはもう息切れしています。
全速力でずっと走り続けてきて、もう限界なのです。

先生の示す高さまで行けません。

先生の望む豊かさに届きません。



そそくさと逃げ出したT木さんの気持ちがなんだかわかる気がする。。。



何故届かないかを考えた時、演奏は人なり。
単に技術の問題が最大なのはさておいて、感性も含めた人となりを思う。

それ故わたしは人が皆ケイの歌を褒めて、でも「人ではない」というのを否定してきた。

ケイの横柄に取れる外側のみで判断される人柄を、
そうではない、そんな人がやさしい歌を歌えるわけがないではないかと思ってきた。

本当のあの人は奇跡のようにやさしい。先生のように。

ただ、その表現が恐ろしく下手なのだ。


だとすると絶望的な気分になる。 

わたしはやさしくもなく、人柄も良くなく。


それなのにわたしの周りには やさしい人が集まる。

ケイも先生も聖寿さんも友人も、みなもったいないくらいやさしい。

せめてそれにふさわしくあらねばと。


それでもわたしは明日にはまた歩き始めるだろう。

あきらめることができないのは、その真の理由は?と自分を笑いながら。


わたしがそこへ行きたい理由。

それは全部含めた、その人。そこまで行きたい。そこで生きたい。