私たち夫婦の赤ちゃんは、無頭蓋症でした。

1000人に1人とも、10000人に6人とも言われているようです。
私が心配していた染色体異常(主にダウン症)より、ずっとずっと低い確率でした。

まさか自分の身にこんな少ない確率の出来事が降りかかるとは夢にも思わずにいた妊娠生活でした。
もう少し若かったら、妊娠したことを素直に喜んで、赤ちゃんの異常を調べて不安になることもなかったのかもしれません。

35歳という年齢での妊娠は、いろいろなことを考えるのに十分な年齢でした。


妊娠を継続して、通常の出産をされた方もいらっしゃるようです。
それでも数十分~数十時間で亡くなってしまったとありました。
※中には数年生きたという情報もありました。

大沢樹生さん(光ゲンジのリーダー)は再婚した女性との間で、
三年もの不妊治療の末授かった赤ちゃんが無頭蓋症だったということでした。
亡くなった赤ちゃんの画像も掲載したと書かれていたので、検索してみたらありました。
とっても可愛い女の子で、帽子を被っていました。
無頭蓋症で亡くなったんだな、とわかりました。

どれだけ辛かっただろう。
望んで望んで、待ちに待った赤ちゃん。
お別れが辛くて、人口死産ぎりぎりの21週まで待っての処置だったようです。

私は15週でのお別れでした。
それでも、たった15週だったけど、失ったあとの喪失感・虚無感がひどくて、突然訪れる苦しさに息をするのも辛い時間がありました。

14週くらいまでは脳は発達するけど、それ以降は壊れていってしまったり、痛みを感じるようになったり、むき出しの頭蓋骨が産道を傷つけてしまう可能性もある。

早く処置したことは後悔していません。
ただ、出産後、それまで意識せずにいた事のひとつひとつに、
「一緒にこの景色を見たかったな」
「こんな美味しいご飯、つわりで食べられなくてごめんね」
という思いが溢れてきてとても悲しくなりました。

次妊娠したら、もっともっと赤ちゃんに話しかけよう。
ひとつひとつがかけがえのない時間であることを忘れないようにしよう。

そう思っています。
出血が多かったので、貧血だったら退院できないかも、といわれていた朝。

血圧も、血液の値も問題なく退院できる事になりました。

11時に退院できるように手続きしてもらいましたが、
請求書を届けてもらうのがすでに11時半で、何もすることがないまま、
夫と二人、病室でぼーっとしていました。

出産一時金39万円のうち、36万円が支払われていて、
3万円ほどが出産以外の費用だった(と思う)ので、支払いを済ませました。
大学病院はクレジットカードで簡単に支払いできて便利です。
夫にやってもらったんですけどね。
支払いを済ませてから、領収書を見せて晴れて退院となります。
病室から支払い窓口までは病院の端から端で、夫も大変だったはず。

ちょうどお昼頃、無事に退院できました。
ちょっとふらふらするけど、昨日出産したとは思えない、思いたくない、そんな感じでした。
10/9
いよいよ運命の朝。
子宮口は開いているだろうか。

9時前に信頼するI先生の診察が始まりました。

内診で開き具合を確認してもらいます。
お腹の上も手で押さえられ、先生の指同士が触れる感覚があれば、十分なようです。

「大丈夫なようなので、これから陣痛促進剤を入れますね」

座薬より一回り小さい薬だと教えてくれました。

9時15分、促進剤が入りました。
病室に戻り、夫に連絡しました。
すぐに来てね、と。

産褥ショーツに着替え、分娩室に連れて行かれました。
9時45分頃、夫が到着しました。
程なくして陣痛が始まりました。

痛い…けど耐えられないわけではない。

三回目のラミナリアの処置の際、破水していたので、
陣痛の波が訪れる度に、何かが出てきている感覚がありました。

あまりにも出てくるのでパッドからも漏れてしまい、助産師さんに交換を頼みました。
すると、それは羊水ではなく血液でした。
思いのほか出血していたので、念のため医師を呼ばれました。

すると、すでに赤ちゃんがおりてきているとのこと。
慌てて分娩の準備が始まりました。

何がなんだかわからないまま、周りに人が集まりだします。
横に助産師さんがついてくれて、深呼吸するように言われました。

数回深呼吸したとき
「10時52分!52分ね」
と誰かが言いました。

あー終わったんだ。

そう思うと涙が出てきて、しゃくり上げて泣いてしまいました。

「よく頑張ったね」
と言われましたが、何も頑張っていません。
ただ呼吸をしていたら赤ちゃんが出てきてくれただけでした。

I先生ではなく、N先生が赤ちゃんを取り出してくれました。

陣痛もまだまだ耐えられるくらいだったし、
産むときの痛みなんてなかったし、
N先生の乱暴な扱いはあったけど、
私は何も頑張ってない。
赤ちゃんが頑張ってくれただけでした。

あっという間に訪れた出産でした。
746cc出血していたので、貧血の心配があるようでしたが、
お昼ご飯も食べて、元気でした。

午後になって母がお見舞いにきました。
まだ出産の興奮が冷めていないせいか、
悲しいよりも母を悲しませたくない気持ちが強くて、
いろんな話をして、明るくしていました。

夕方になり、夫が帰りました。
夜ご飯を食べました。

突然悲しみが襲ってきました。

眠れなくて、涙が出てきて、辛い辛い時間でした。

夜、誰にも公開しないmixiの日記を書きました。
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ありがとう

2013年10月09日23:56
10月9日10時52分
小さな男の子を産みました。

あっという間で呆気なくて、実感がわかないまま。
でも、楽に出てきてくれてありがとう。
苦しかった二日間が嘘みたいな一日だったよ。

ちゃんと成長させてあげられくてごめんね。
お母さんらしいことは何もできなかったけど、
親孝行してくれて、ありがとう。

子供がいる未来を想像させてくれて
子供を生む尊さを教えてくれて
夫と一緒にいる幸せを感じさせてくれて
家族の大切さを再認識させてくれて

本当にありがとう。
私と夫の初めての子供。ももちゃん。

おやすみ。

前日のラミナリアの処置のせいで(N先生に悪気はないんだろうけど)、あまり寝られない夜でした。
4時頃に目が覚めてしまい、入院前からひいていた風邪のせいもあり、37.2度の熱。
10月とは思えない暑さも重なり寝苦しい夜でした。

10/8
9時頃に3回目の処置が始まりました。
N先生ではなく、I先生でした。
丁寧に処置をしてくれたおかげで、前日の半分ほどの痛み。
7本入りました。

16時頃
座薬を入れてから処置しましょう、ということで、痛み止めの座薬を処置前に入れました。
12本入りました。
I先生は本当に丁寧にやってくれて、痛みを感じても、この先生だったら仕方ないと思えるほどでした。

子どもを失うための処置。
それだけで心が重いのに、とてもとても痛い処置を乗り越えなくてはならないのは本当に辛かったです。
あまりの痛さに心の辛さを忘れてしまうこともありましたが、N先生のような処置をされると心が傷つきます。

明日の朝、子宮口がどれくらい開いているかで、次の予定が決まります。
もし開いていなかったら…もう一回ラミナリア…。
それだけは避けたい!頑張れ私の子宮口!

と願って寝た夜でした。

10/7
10時
大学病院 入院
エコーで最終確認。
頭蓋骨が形成されていないことを確認。
最後のエコー写真をもらう。
これが最後の姿でした。

11時
1回目のラミナリア処置
最終診断をしてくれたI先生が処置してくれました。
男の先生は、優しいです。
自分が女性じゃないからなのか、ひとつひとつの行動が優しいんです。
それは2度目の処置が女医だったことで気づいたのですが…。

この時は子宮口が小さくてラミナリアが1本しか入りませんでした。

16時
2回目のラミナリア処置
Nという女医でした。後から調べてみると、高校の後輩(7~8年離れているけど)でした。
このN先生が乱暴で粗雑で荒々しい処置をしてくれたせいで、私の入院生活の半分はN先生に対する恨み辛みになりました。笑い事じゃないけど、笑っちゃうくらい頭にきました。

1回目に1本しか入らなかったラミナリアを、乱暴な処置で5本入れてくれました。
同じ女性だから上手にやってくれるかな、という淡い期待をあっさり裏切る荒い処置でした。
痛くて痛くて、途中で気が遠くなりました。
汗が噴き出してきて、途中で看護師さんが「大丈夫ですか?」と聞いてくれますが、全く大丈夫ではありません。それでも「はい」と答え、そのまま処置は続きます。

20分ほどの処置が終わり、夫が待つ病室に戻ると、痛みと屈辱感で思い切り泣きました。
痛いだけではない心の痛みがありました。