最近あまり放送しなくなった2時間ドラマ。
昔は好んで見てましたが、納得できないパターンがひとつありました。
最後のシーンで、復讐を果たそうとする犯人に主人公が一言。
「やめるんだ!そんな事をしても◯◯さんは喜ばない!」
このセリフが嫌いでした。
なぜ止める。復讐されるようなことをした人間なんだから当然だろう。そう思いました。
私は離脱症状を経験して、医者を憎んだり、呪ったりするのは良しとしてます。
憎むには憎む理由があるし、呪うには呪う理由もある。
でもあなたの身近にもきっといるであろうアホは、カウンセリングごっこをやりたがります。
マイナスをプラスにしようとしたり、黒を白に塗りつぶそうとします。
あなたが憎んだり、怒ったり、呪う事を間違ってる事にしたがります。アホだから。
憎い感情が出た時点でもうそれはエンディングです。ラストシーンです。
「あの医者まじで死ねばいいのに」と思った時点で完結です。昔のトレンディドラマでいうFinです。
なのにカウンセラーもどきは、ドラマのラストシーンが気に入らないから変えろと言うのですよ。
もはやクレーマーです、モンスター級の。
憎いと思っちゃったんだからしょうがないんです。憎いんだもん。
まずいラーメンを食べたら、まずいって言っていいんです。
じゃあお前ラーメン作れんのかよ?とか、そーいう話じゃないんです。
面白くない本だと思ったら、つまんないって言っていいんです。
じゃあお前に書けるのかよ?とか、そーいう話じゃないんです。
自分がそう感じたなら、それでいいんです。
離脱症状は狡猾です。
不安感で心が病んでると錯覚させます。
何が正解かわからなくなります。
だから、憎いと思ったらその自分の感情を信じるしかないです。
何回も吐き出したら憎いが悲しい感情に見えたりもします。
感情を吐き出したり、心のパターンを知ったからといって回復につながるわけじゃないです。
さっき言ったように、感情が出た時点で終わりなんです。
お得を求めたい気持ちはわかりますが、それで回復はしないです。ネガティブな方向に加速しないようにするだけです。
出た時点で終わり。
つまり、憎いからあいつに危害を加えてやろう、という発想にはならないって事です。
わかりますか?
憎いは、憎い。殴りたいは、殴りたい。一緒じゃないです。
でもポジティブにしたがる者たちは目の前のあなたを見よともせず、勝手に頭の中で想像したあなたが将来間違いを起こす事を恐れてます。
そして自分の安心や、想像を正当化するためにあなたを言葉でコントロールしようとします。
あなたがもし私と似た離脱症状を経験してるなら
あなたの願いは、離脱症状が無くなり健康に暮らす事じゃないですか?
医者に復讐することではないですよね。復讐したいなら復讐のやり方を調べてますよね。
断薬ブログを見ているなら、少しでも自分が良くなるヒントを探してるという事ですよね。
治したい、早く良くなりたいと願ってる人だと思うから、恨んだっていいって言ってるんです。
我慢、我慢の毎日なのに自分の感情を正直に言うことも許されないのは、しんどいです。つらいです。
ポジティブな事を言う側はラクです。アドバイスをしてお役に立てた気分にひたれるから。
離脱症状の不安感や不調には、そんなもの一時的な気休めにしかならないです。マイナスが加速しないようにするだけです。
でもね、本当に良くなったら、そんな身近にいるカウンセリングしたがる人たちも、なんだかんだで有難いなって思える瞬間がやってきます。
その時、感謝したきゃすればいいし、やっぱりうるさいなと思えば、うるさいなと思えばいいし。
無理にポジティブに考えなくても、感謝の言葉を何万回も唱えなくても
身体は壊れた機能を回復しようと頑張ってるから大丈夫です。
3歩進んで、2歩下がりながら少しずつ時間をかけて良くなっていくと思います。
花が咲いていなくても
桜の木は、桜の木です。
枯れたわけじゃなく、時間をかけてまた咲くんです。