今日は福島県いわき市のはずれにある
勿来海水浴場が海開きだそうです。
こんな山の中の涼しい場所に住んでいると、
「この涼しさで海に入れるのかな?」と首を傾げてしまうのですが
ちょっと下山したら「暑い」と感じるので
わたしの暮らしの気温はあてにならん^^;
勿来海水浴場はわたしの子供時代の
【夏の思い出の場所ランキング】トップ3に入ってるので
海開きと耳にすると、
夏が始まったな~って感じるのです。
いわば、夏の初日は勿来海水浴場の海開き。
さあ、今日からが夏です(^^)
しかし、、、毎年海の家は少なくなっており、
今や1、2軒しかない状態で、お客さんとて
野鳥の会の方を呼ばなくても、老眼のわたしでも数えられる程度。。。
時代が変わったんだな~。
わたしの感覚の中では「ちょっとの間に時代が変わった」なのですが、
正確にはてんで「ちょっと」ではないわけですよ。
勿来海水浴場で泳いでた頃からすでに
50年は経過してるわけですから(T▽T;)
実に、半世紀。。。
「ちょっと」ではないんですよね~。
感覚的には「ちょっと前」なのにな~。
昭和が過ぎる速度はあまりにも早かった感じがします。
わたしは昭和36年生・1961年生まれなので
昭和30年代は4年しかなくて、
あまりに子供だったのでその記憶もぼんやりですが、
数年間住んでいた北海道で家族と温泉施設みたいな所へ出かけ、
初めてジュークボックスを目にした時の光景を
今でも覚えています。
レコード盤をつかんでかけられるまでの一連の動作が
不思議でたまらなかったっけ。
実はあの大きな箱の中に人が入ってるんじゃないかと
ジュークボックスが置かれた壁と壁のわずかな隙間に入り込んで
必死で裏側を見ようとしてました。
今思い出すと、猿ですな(笑)
海に話を戻すと、
我が家はいつも「海の家」を利用していたのですが
海の家から海までのわずかな距離に
びっしりとビーチパラソルの人たちがいて
先に進むのだって大変でした。
多分、家族連れは「海の家」で、
若いおねーさんやおにーさん達はビーチパラソル派だった気がします。
あの時代、そのパラソルが妙にかっこ良く見えて、
わたしも海の家じゃなくてビーチパラソルがいいな~なんて
そんなことを思ってました。
おねーさんたちの着てるビキニを見て、
わたしもこんなんじゃなくてあんなビキニが着たいな~とか、
まだ幼児体型でぽっこりと出たお腹を撫で回しながら
そんなことを思ったり(笑)
大人になってこのぽっこりお腹が引っ込んだら
ビキニを着るぞ~(^o^)/と思ったものの、
その後ほっそりと痩せ、ぽっこりお腹はへっこんだものの
今度は、出るべき場所が出てくれず
ビキニとは無縁の生涯なのですが^^;
水着のおねーさんたちは男性の目の保養に留まらず
ハナタレのわたしにも楽しさをくれていたのでした。
あの当時のおねーさんたちも、
今では70代後半か~。
諸行無常。
昭和40年から45年までの5年続いたのが
いざなぎ景気(←だと記憶してます)。
昭和39年の東京オリンピック開催に伴って、
新幹線や高速道路が建設されたり競技会場が建設されたり、
オリンピックを観るためにテレビがバカスカ売れたのが
いざなぎ景気の要因だと言われてます。
あの頃の日本には追い風が吹いていたんでしょうね。
今は不景気の時代に突入してしまいましたが、
それはそれで、お金のかからないレジャーに
再度目を向けてみるのもありかなと思います。
今年は海水浴なんていかがでしょう?
わたしはカナヅチなんで「泳ぐ」は無理なんですが、
久しぶりに海の家に行って、
焼きいかとか焼きそばとか食べようかな^^
と、その前に、、、
海の事故がありませんようにと祈っておかなくては。
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