まもなく終戦記念日。
インドネシアのバリ島に行った時に、海で貝殻を拾ってきた。
それを私は、おじいちゃんの遺骨だと思ってる。
私のおじいちゃん
高梨善四郎さん
東京の荒川区の、裕福な家庭の8人兄弟の四番目に生まれた。
成人して紳士服の仕立て屋になり、大辻 歌(私のおばあちゃん)と結婚。
照子(私の母)と武志(私の叔父)が生まれた。
だが、幸せは長くは続かない。
おじいちゃんは徴兵にとられて、日本海軍の2等兵になった。
当時の日本では健康な成人男子は兵隊にとられる制度があり、本人の意思とは無関係に戦争へ行かされた。
昭和19年、1944年7月9日
インドネシアのセレベス島方面で
おじいちゃんが乗ってた艦が米軍の攻撃を受け、撃沈した。
享年32歳。
私が生まれる25年も前のことだけど
当然、おじいちゃんには会ったことないけれど
私が幼い頃に、おばあちゃんがきかせてくれた、家族の悲しい歴史と
たのもしい若者の姿をした、おじいちゃんの写真が、私の心を捉えて離さない。
生きて帰ってきてほしかったと、思わずには、いられない。
叔父の遺品を整理した時、おじいちゃんが、おばあちゃんに送った手紙が出てきた。
遠い異国の戦地から送られてきた手紙には、飛鳥山の桜を懐かしむ望郷の思いと、妻子への愛情にあふれていた。
お墓には、おじいちゃんの名前が刻まれて、骨壷が収められているけれど、遺骨は無い。
おじいちゃんはインドネシアの海とひとつになって、私が拾った貝を育んだと思ってる。
その貝殻を、私は日本に持ち帰った。
手紙から、おじいちゃんが日本に帰りたがってた思いが伝わったから。
次にお墓を開ける時には、この貝殻を、おじいちゃんの骨壷に納めるつもり。
今の日本ではミサイルが飛んできたり、銃撃されたりする心配がない。
行きたくないのに、国の命令で戦争に行かされることもない。
平和に、思うがままに、自分の人生を自由に生きることが許されている。
平和の上に美容とか、文化が成り立っている。
感謝しかない。