藤本さきこさんつきっきり継続講座

秋冬期卒業生

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何となく思い浮かんだこと。

 

 

「美しいものが好き」って言うよね。

 

 

美しいものが好きだから

 

机に花を飾り

ノートを飾り

エルメスのコーヒーカップを置く

 

 

 

けど、本当にそれが

美しいと思ってるんだろか。

 

その花を本当に美しいと思っているんだろうか。

 

ノートを飾ることが本当に美しいと思っているんだろうか。

 

エルメスのカップが、以下同文。

 

 

 

何が言いたいかというと

その「美しい」の定義は、借り物じゃないのか、ってこと。

 

 

誰かが美しいと言っていた。

皆が美しいと言っている。

 

だから、これらは美しいはずである。

 

という、自分の本心を無視した、

周りに作られた「美しい」じゃないのか、ってこと。

 

切り花ですね。

 

私の「美しい」は、恐らく世間とズレていて

 

ノートで言えば、

 

耳なし芳一のような文字だらけの状態

それとか、

文豪の手帳のような、乱雑に書きなぐった様なものを

「美しい」と感じる。

整っていない、偶然の、意図しない美しさ。

 

 

花で言えば、

 

切り花を机に飾るよりも、窓から見える山の緑が好きだ。

切り花は少し、「死にゆく」感じを覚える。

仕事上、切り花を飾るのを1日も絶やさない、ということをやった上で言ってます。

 

 

人間のカラダは美しい。

 

それが完璧なスタイルでなくて良い。

たるんだ腹、荒れた肌、病変した部分、

「現実のどうしようもない汚さ」が美しく、愛おしい。

 

物語作品でも、「どうしようもない汚さ・感情」そういったものに胸を揺さぶられる。

 

 

周りがどうしていようと、

私の「美しい」「面白い」「好き」の感覚がそれならば、

 私の「美しい」「面白い」「好き」の定義はそれだ。



色々なものに触れ、その定義が変わっていくことはある。

 

だけど、

何かや誰かにあわせて故意に変えることは、できない。

 

切り花でございます。嫌いな訳では無い。

 

 

「美しいものが好き」

だから、美しいものを飾って自分を満たしたい。

 

であれば、その飾ったものに、

自分の内側が喜んでいるのかが分からないとね。

 

 

周りがどうしているかよりも

自分の内側がどうなのか。

 

 

そういうのを知るために、ノート書く。

 

「~であるからして、故に、私は●●が美しいと思う」

みたいな、思考整理ノートを書くんじゃなく、

 

「感じる」を磨き、正しく捉えるためにノートを書く。

 

思考整理をしなくても、

「感じること」ができれば、

何を美しいと思うかなんて、すぐに分かる。

 

 

ここを置き去りして、

思考整理ノートで導き出した、机上の空論みたいな答えを、自分の答えだと思うから、しんどい。

 

 

 

「ノートしたらこうなったんですが、これであってますか??」

 

そんなのは、自分の内の感覚を感じてみれば、一目瞭然だ。

 

答えは自分の内側にある。

 

だから、自分の内側を感じ、捉えられなければ答えはわからない。

 

 

自己対話ノートの稽古は、そこの稽古。

 

書き方の稽古ではなく

自分を知る稽古。

 

 

 

最後までお読みくださり

ありがとうございました。

 

 

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