この記事の続き。

 

 

当社の月参りは、

参拝だけでなく、

神職との対話がセットになっています。

    

 

    

ご祈祷 約20分

+

対話 約70分

 

1枠90分の構成になっております。

(土日祝は1枠75分)

 

完全予約制です。

 

 

 

神社にお参り、といえば、

 

鈴をガラガラ鳴らして、

お賽銭投げて、

手をパンパンして、

おみくじ引いて帰る

 

のイメージが強いかと思いますが、

 

当社では、90分の基本形を

「お参り」と呼んでいます。

 

 

 

 

で、話は戻りますが、

 

当社は、ご参拝に当たって

「決まった金額」を

提示していない、というのは、

 

 

お供え(玉串料)の金額を

決めていない

ということです。

 

 

 

メニューは決まっています。

 

    

ご祈祷 約20分

+

対話 約70分

 

 

でも、お供えして頂く

金額は決まっていません。

 

 

ご参拝もお守りも

全て参拝者の

「お気持ち次第」の金額です。

 

 

 

なぜなら、

お参りとお供えは

参拝者が神様に対して

することだからです。

 

 

にもかかわらず、

「第三者が参拝の金額を決める」

ということは、

 

その第三者がお参りの機会を

奪う可能性があります。

 

 

 

 

どういうことか具体的に言うと、

 

Aさんが当社にお参りしようとした。

金額が5万円と決まっている。

Aさんには5万円が払えない。

Aさんはお参りできない

 

ということです。

 

 

金額が決まっていなければ、

Aさんはお参りできたわけです。

 

 

そう考えたとき、

金額を決めた者が、

Aさんのお参りの機会を奪ったとも言える。

 

 

 

 

また、もう一つの側面として、

お参りは一回で終わらない

という部分があります。

 

 

神様への感謝が

一回限りで事足りるということは

無いでしょうし、

 

 

長い人生の中で、

人間は調律が必要だと

私は思っています。

 

 

ピアノと同じです。

どんなに完璧に作られたピアノであっても、

長く整った音色を奏でるには、

調律が必要ですよね。

 

 

人間も同じだと思います。

 

 

類は友を呼ぶ

朱に交われば赤くなる

 

人間って、そういうものです。

 

 

 

一度、気付きを得たら、

一度、元気になったら

ほっといても一生それが続く、

というわけではない。

 

 

 

皆さん、それが分かっているから、

 

定期的に講座を受けてみたり

お茶会に参加してみたり

オンラインサロンで

日々のお稽古をしているのだと思います。

 

 

👩

それって依存なんじゃないの?

 

 

ピアノは調律師に依存しているでしょうか?

私は、依存関係ではないと思います。

 

 

調律師がいなければ、

立ってもいられない、

音も出ない、

 

いつでもそばにいて、

答えをちょうだい!!

 

というのが、依存です。

 

 

関係を断つことが、

「依存しない」ということ

ではありません。

 

 

自身の調律のために、

決まった人との関係を持ち続ける。

 

これも、

自立であると、私は思います。

 

 

 

 

で、そういう理由から、

お参りは一回で終わらないわけです。

 

美容院にだって一生通うけど、依存じゃないよね。

 

 

神様へのお参りは、

参拝者が望むのであれば、

ずーっと続いていく。

 

続いて行って欲しいと、

私達は願うわけです。

 

 

だから、

神社を維持しているんですよ。

 

神様と、神様を慕う人々の

「場」を保ちたいから。

 

 

 

 

 

で、お金の話に戻りますが、

 

人の持つ金額には個人差があります。

ひとりの人生の中にも、金銭的な波があります。

 

 

金額が決まっている、ということは

その金額が払えない人、

もしくはその状況にあるときは、

参拝できないということです。

 

 

「若くて稼いでいたときは毎月お参りできたけど、

年金暮らしになって心もとないから、年に3回にしておこう…」

 

とか、そういうことになっちゃう。

 

 

これって、私達からすれば不本意なのです。

 

「定価」が、

その方からお参りの機会を奪った。

 

 

神様への感謝の心を

示す機会を奪った。

 

 

だから、私達は金額を決めません。

 

お参り(ご祈祷)も、

お守りさえも金額を決めていません。

 

 

 

このスタイルで当社は

50年以上

やってきました。

 

 

 

「じゃあ、タダにすべきじゃん」

 

 

と思われる方もおいでかも知れません。

その気持もよく分かりますので、構いません。

 

 

Q,なぜ、タダじゃないの?
 
A,貴方様の為です。

 

 

上でも書きましたが、

 

私達は、神様と、

神様を慕う人々のための

「場」を預かっています。

 

だから、それを維持すること、

神様と、神様を慕う人々を繋ぐことが仕事です。

 

 

 

この「維持すること」に含まれることは

めちゃんこ多くて、

 

例えば、日々の神様へのお供えもあります。

 

 

物理的に「場」を維持しようと思えば、

水道光熱費も修繕費用も、全て、

 

物理的な「お金」で

必要なわけです。

 

 

だから、お金を頂く必要は絶対的にあります。

これはもう、変えようのない事実です。

 

そして参拝者も、

「場」を保つことは自分の為なんですよね。

 

 

 

 

私は10年前に福井県の

断食道場で精神障害を治しました。

 

 

卒業してから、

道場が必要としている物品や現金を、

年に1度程度、少ない額ではありますが自主的に送ってきました。

 

先生への感謝の気持ちだけでなく、

これによって、少しでも、後輩たちの可能性が広がれば良いな、と思うのです。

 

 

私ひとりからは5千円、1万円でも

もしも、他にもそうしている人が5~10人いれば

5万円、10万円になるわけです。

 

 

そうすれば、ちょっとした修繕費用ぐらいにはなるかも。

今、滞在している人々の、食費の足しになるかも。

 

 

それが、あの頃の私のように悩み苦しんでいる後輩たちへの可能性になるかも知れない。

 

 

他にもそうしている人がいるかは知らないのですが、

私はそう思って、出来る範囲で、出来るときにやろう、と、卒業したときに決めました。

 

 

それが、私の感謝の気持を表現する手段だと思ったんです。

 

自分のために、

「人のためのこと」を

やっているってこと。

 

 

 

 

神社へのお供えも同じだと思っています。

 

出来る範囲で、出来る人が、やる。

そうやって、「場」を維持する。

皆のためになる。

 

自分のために、

「自分とそれ以外のためのこと」をする。

 

 

 

当社での「お供え」は

そういうものだと、

私は捉えています。

 

 

お供え(玉串料)は、

私達職員に支払う

対価ではなく、

 

参拝者が神様に

お供えするものである。

 

 

 

 

だ か ら

 

 

「幸せの寺子屋」のフォロー期間終了後の

 

    

神社ご参拝の際は

個人セッションのように

私への金品の支払いは不要です。

 

ご祈祷料のみ

神社にお供え下さい。

 

 

と、この記事で書いたのです。

 

 

このスタイルであれば、ご自身に合わせたご負担で、

長きに渡って関係を構築していけます。

 

 

もちろん、お望みであれば、です!!

 

 

 

私は、「金の切れ目が縁の切れ目」みたいな、

講師&講座生みたいな関係は、あまり好きじゃないんです。

 

完全に私の好みの話です。

継続講座なさっている方々を批判する意図は全くありません。

 

 

 

講座期間が終わっても続く、長い関係を結びたい。

 

だって、講座が終わってからの人生の方が長いじゃないですか。

 

 

 

私にとって「長い」というのは、

私達が死んで代替わりしたあとも含むぐらいの「長い」です。

 

もちろん、受講者さんが望むのであればの話です。

 

 

子、孫、その子供…

ずーーーーーーっと続いていく関係。

 

 

 

私達が死んでも続けることが可能な関係。

 

 

 

 

 

「そんなの、無理やん」

 

って思います?

 

 

いや、このスタイルで当社は

50年以上

やってきました。

 

 

 

能勢に来てからは、今の宮司で3代目ですが、

初代の頃からお参りされている方、沢山いらっしゃいますよ。

 

 

できもしないことを、私が講座の宣伝のために言ってるんじゃないんです。

実際に、既に、このスタイルでやっているんです。

日常的に。

 

 

新たにこのスタイルで始めよう、というのはかなり難しいと思いますが、

ありがたいことに、私にはその地盤が既に整っています。

 

 

神様、ありがとうございます。

 

 

 

ちなみに

・大阪が遠すぎてお参りは出来ません。

・講座は受けたいけど、お参りは結構です。

 

という方も、

もちろん【幸せの寺子屋】は

受講できますのでご安心ください。

 

あくまでもオプションです。

 

 

最後までお読みくださり、ありがとうございます!

 

それもこれも

生きてるからできること

 

生きてることが大成功®