春秋から学ぶアイディアはっくしょん~5月19日 | 日経新聞「春秋」から学ぶ、MOSO はっくしょん!

春秋から学ぶアイディアはっくしょん~5月19日

本日の【春秋から学ぶアイディアhacks】


5月20日(木)、皆様おはようございます。中国語では、早上好!!

今更ながら、気づいたことがあります。

ブログは、朝じゃないと書けない!!

理由は、夜帰ってからだと疲れて寝てしまうからです。

昨夜、書こうと思っていたのですが、気づいたら、6時になっていました。

今日は雨が降っているので、楽しくやっていきたいです。


はじめての人は、以下の記事も参考にして下さい。

はじめに

http://ameblo.jp/sayjin03/entry-10408202760.html

春秋の読み方

http://ameblo.jp/sayjin03/entry-10408211194.html

アイディアの生まれ方

http://ameblo.jp/sayjin03/entry-10408224079.html


ポイントは、4つ。

①書き出しのキーワードを探す

②最後のキーワードが何になるのか考える

③最後のキーワードを探す

④読み終わった後に、春秋に題をつける。


それでは、読んでみて下さい。

<5月19日の春秋です>


▼松下幸之助さんの大番頭といえば、高橋荒太郎さんの名前が挙がる。朝日乾電池という会社で経理の制度をつくった実績を見込まれて、松下電器産業(現パナソニック)に転じた。が、「経営の神様」が買った点はほかにもあったろう。

▼需要が減り始めた商品から伸びている製品へ、生産を機敏に切り替えたことだ。1929年、25歳で高橋さんが朝日乾電池の常務に抜てきされた時、主力商品はラジオ用電池。だが技術革新でラジオに電池がいらなくなった。そこで需要増が見込める自転車ランプ用電池に的を絞った。変化を読み会社を改造した。

▼経営改革を高橋さんが始めた29年は世界恐慌が起きた年だ。不況が深刻なほど内向きになり、コスト削減でしのごうとしがち。新しい収益源を生んだ高橋さんの手腕を松下幸之助さんは評価したに違いない。リーマン・ショック後の不況から日本は抜け出せていない。成長への道筋を、企業はつけているだろうか。

▼高橋さんは神戸の商店で働きながら簿記を学んだ。朝日乾電池の改革では工場に常駐して従業員を指揮した。ラジオ用電池の生産が減っていく様子を工場で目にし、製品を変える決意は強まったろう。現場には発見がある。もっと現場に出よ。成長戦略を描ききれない経営者に、そう呼びかけているようにみえる。


さて、整理してみましょう。


(1)最初のキーワード:松下幸之助


このキーワードから思い浮かべることは何でしょうか?


松下幸之助→松下政経塾を経営→そこから出身の政治家も多くいる→問題意識は高い人が多い→市議会では多くのすごい人がいる→国会議員でもそういう人がいると思うけど、なぜ悪いことしか言われないのか→松下さんは小学校を卒業してから丁稚奉公で生計を立てていた→今の教育制度も転換期に来ている→「生きる」ことを意識しないで生きられる体制はよくない→現場を教育現場に再現できるような教育をしていきたい。


と私は考えました。


(2)最後のキーワード:もっと現場に出よ。

現場 というキーワードは思い浮かべたことと同じだった。しかし、そのアプローチが全く違う。松下幸之助さんの手助けをした高橋荒太郎さん・・・まさか、こんな人の名前が出てくるとは思わない。まったく知らない人だよ。子の人も小学校を卒業して、仕事をしている。義務教育は小学校まででもいいのかもしれない。今の日本は、法科大学院といい、チャンスを人に与えない制度がどんどんできているように思えて仕方がない。理論を重視する人もいていいと思うけど、現場が一番重要なのに・・・。


こうやって、春秋を読んだ後に、春秋に題を作ってみると更に面白い。

「現場!!ゲンバ!!げんば~!!」


<高橋荒太郎 たかはし-あらたろう>

1903‐2003
昭和 時代 の経営者。
明治 36年10月19日生まれ。小学校 卒業 後,商店 づとめをしながら勉強朝日 乾電池 にはいり,昭和4年常務 。11年業務 提携 先の松下 電器(現パナソニック )にうつり,専務 ,副社長をへて,48年会長 。松下幸之助の片腕 として,フィリップス 社との提携,経営管理体制整備 につとめた。平成 15年4月18日死去 。99歳。香川県出身神戸 商業 補習 学校卒。