おはようございます晴れ

今日はとてもいい天気です。福岡は雲ひとつない快晴です!


昨日、私自身、一つ歳をとりました。


長女が亡くなった時は私が39歳。30代最後の年に人生が一度終わりました。


それからはひたすら、下の娘二人のため、主人のため、生きてきました。

長女のことに囚われない。あの子は家族が幸せでありますようにと最後、言葉を残してくれた。絶対に近くでみてくれてる。あの子を安心させたい。

そうやって1時間、1日、1月。その時その時を生きることに注力して、過去をみないよう、未来もみないよう、今を生きることを続けてきました。


あれから2年と5ヶ月。

42歳になりました。

80歳まで生きると考えると、第二の人生がスタートして2年少し。

一度の人生である意味、2回も違う人生を生きていることは幸せなのだと思っています。亡くしたものは大きすぎます。でも、私は亡くさなければ気付けなかった、日々の当たり前の幸せ。


強制的に終わらせてくれた長女。なんの前触れもわからなかった、気づいてあげられなかった。長女が自ら亡くなるなんて、そんなことできたことも今だに現実ではないような感覚です。

だからこそ、長女のことは生まれる前に決めてきたお役目だったのだろうと思えてなりません。

そんなスピリチュアルなこと、考えてる場合か!って思ったりもします。でも、今を生きなければなりません。ならば、過去ではなく、長女がお役目を果たして気づかせてくれた、そして、遺された下の娘達、夫が一緒にこの日々を過ごしてくれていること、当たり前じゃない。この日々を受け止めて、噛み締めて、私自身の人生を生きていくしかない。


そんな、第二の人生、2歳と5ヶ月になりました。


最近は長女を感じることはないのですが、それでも誕生日がゾロ目なのでナンバーとはよく遭遇します。

下の娘たちの成長を感じる日々に、この2人の娘達も、生まれる前に決めてきた今の人生、子を自死で亡くした母のもとに生まれてきてくれて、共に日々を過ごすというお役目を持っているのかもしれない、そんな娘たちが愛しくて仕方ないです。


あの時、小学一年生と一歳だった二人も、小学四年生と四歳になりました照れ毎日学校に保育園に行ってくれています。これも当たり前じゃないんだよな。


そして来月、令和6年6月6日、ゾロ目の日、生きていれば長女は17歳となります。




新居での暮らしも一年が過ぎ、シンボルツリーとして植えた長女の誕生月の木、ジューンベリーも、今年は白い花をつけ、今は実がなってます照れ


生きているといろんなことがありますね。

心は乱されやさすぐなったし。でも、自分のしたいことをする、言いたいことは我慢しない、自分の考えでやる、そんな自己中な生き方で日々を過ごせるようになりました。自己中でいいと思っています、そこに周りへの愛があるならば。