このブログは、長女が亡くなったことをきっかけに始めました。


長女が亡くなって一年10ヶ月。

事後すぐの頃は毎日書いてたのに

最近はすっかり今を生きる自分。

もちろん、長女のことを毎日考えるし、毎日の生活の中で長女のことが思い出されることばかりだけど。


でも、その時をやり過ごしたり、スルーしたりしながら、今を生きています。


朝、家族の中で一番に起きて、自分のお弁当の準備、子供達の着替えや荷物の準備、仏壇にお供えして線香を焚き手を合わせ、そのまま、長女の遺骨がある仏間で、カーテンを開けて朝焼けを見ながら朝ヨガ。

子供達が起きてきて、主人が起きてきて、朝ごはん食べさせて自分も身支度して、保育園に送って仕事へ。


一日仕事。仕事は、上司が仕事しないことに悩まされながらも自分自身の仕事は特段問題なし。

職場では私自身、子供は2人としか思われてない。長女を亡くしたことを知る人は、人事上知った課長くらい。それでも本当の死因は知らない。


仕事は定時で終わりダッシュで子供達を迎えに行き、帰宅したら座る間もなく家事、夕飯作り。

そして家族で夕飯、この時の缶ビールが幸せ。


お風呂入って子供達が寝る頃に夜ヨガ。

かなり癒されています。


この時間は、1人のことが多い。

主人は子供達を寝かしつけながらそのまま朝まで寝ちゃうことが多い。


この時間にふっと


なんでここに長女がいないのか?

てか、昔いたよね、私にもう1人子供が。

なんなんだろう、生きるって。今、こうしてここに自分がいるのは何?死ぬ時ってどうなるんだろ?長女は何を見たんだろ。長女は一体、何だったんだろ。そして私は?次女は?三女は?

勝手に産んでしまったけど、よかったのかな?いつか終わりが来るならば、始まらなければよかったのかな?


とかなんとか考えながらボケーっとテレビを見たり、ブログを読んだり。


そして強制的に考えるのをやめようとする。


私は長女の死をどう捉えて、どうしていきたいのか。正解はない。でも、間違いないのは、長女が亡くなってしまったから不幸だなんて思いたくない!暗くなりたくない。むしろ、娘が命をかけて残してくれた、日々の時間は当たり前じゃないこと。当たり前なことは当たり前じゃなくなる時がいつきてもおかしくないこと、だから今を生きること。それを大切にしたい。

そのためには、自分を大切にしたい。

自責はしない。娘はそんなこと望んでない。それは今、よくわかる。