娘が自死という選択をし、この世界から旅立って今日で一年九ヶ月が経ちました。


日々、仕事や育児、家事などの生活、現実に追われ、一日一日過ぎていくのが早い感覚もありながら、改めて月日を意識すると、まだ一年九ヶ月しか経ってないのかと、あの頃の生活から今の生活環境をがらりと変えたこともあり、なんだか時間の感覚はよくわからないまま生きています。


娘のことをもちろん忘れることなんてありません。一年九ヶ月経っても、毎日毎日、考えます。

考えることはやはり、なんでこんなことになったんだろう?今は平穏な日々を送っているだけに、あの時起きた取り返しのつかない大変なことを思い出すと怖くなる感覚もあります。


だけど、やはり時薬はあるし、娘がいなくなってからの暮らしの中でも、やはりうまくいかないことやきついことなど、やらなきゃいけないことはあって、それを乗り越えてる自分もいて、そんな自分の生命力に誇りを感じますし、娘の分まで生きるって、毎日お仏壇に手を合わせて誓ってます。そして、下の娘たちや主人がそばにいてくれているから、家族がくれる力があるから、感謝しています。


色々考えるしわからないし、怖いけど、

生きるしかないのだから。娘を助けられなかった、救えなかった、力になれなかったけど、私は私の命を生きる。この経験も背負って生きます。

辛いし、寂しいし、悔しいし、苦しいし。

でも、楽しいこと、笑えることもある。

下の娘達の成長は時に、生前の長女と重ねて寂しくなることもありますが、苦しくもなりますが、最近では時薬なのでしょう、下の娘達の成長が嬉しい、幸せだと感じることができます。


この世界で生きる意味はまだわからないし迷っているけど、このままわからないままでも、迷走したままでもいいんじゃないかなと思い始めています。時の流れに逆らわず、流されて。それでも生きていることには変わりないから。