長女を亡くして一年と一月が過ぎました。

もうそんなに経ったのか、まだそんなものか。そんな感じです。


子を自死で亡くした苦しみ、悲しみ、自責、後悔などは決して消えません。

でも、最近は、避けていた自死のこと、大好きな、大切な娘が選んだ自死のこと、向き合いたい、そんな風に思えてる気がします。


今だけかもしれませんがね。でも、これまでは検索できなかった、自死の方法や希死念慮など、そんな単語を入力して検索できました。一昨日くらいから、暇があればそんなことをして過ごしてました。


生前も今も、我が子にとって不都合なことや悪いこととは向き合ってこなかったかもしれません。全力で正面から闘わなかった。私はそんな母親でした。


だけどやっとです。

この出来事はさすがに向き合わずにはいられない、逃げられません。変えることができない、他の何かで埋めることもできないことだから。私なりに自死のこと、向き合いたいです。


でもこれは、事後からこれまでの間はできませんでした。どうしても無理なことってある。

それを今、無理してでは決してなく、私の気持ちで、そんな風に向き合える気持ちになってきました。


時の経過、家族の支え、仕事もうまくいってて、亡き長女のこと以外のことで悩むこともあまりありません。そして何より、ここのブログで同じ境遇の方々の記事を読ませていただいて気づくこと、納得できることがあって。


こういう恵まれた今の環境が、私の傷を少しずつ撫でてくれているのだろうと思います。


だからこそ。


もう逃げずに、自死を選択した長女のことを考えること、死んでから娘に会って話を聞かなきゃわからないけど、なぜ?なぜ?は消えないけど、なぜ?なぜ?ってずーっと考えること、それを続けてると、ひととおりぐるりと回って。答えはないということが答えなんです。それを見つけられました。一年以上の時間をかけて。


考える作業をしても、ずどんと苦しくて這い上がれないような感覚にはなりません。

以前は自分の手で自分の首をしめてみたり、クローゼットの中に入ると余計なこと考えたりしてたけど、最近ではそれはありません。


時の経過によるのかな。


長女のことを思い続ける。苦しいし怖いし、なんで死んだの、あなたは今どこに?なぜママのとこに生まれてきたの?いつから何を考えてたの?


はてなばかりです。

でも、これをぐるぐる???  ってやると

私の心は落ち着くのです。

落ち着くようになりました。

前はそうはいかなかったんです。踏ん張って軸をまっすぐと変えずにぶらさないことにかなり集中しないと、すぐに暗い闇に吸い込まれそうになってた。


でも今は、

向き合う作業をした満足感のような、そんなものだと思います。私が長女のためにできることだと思うんです。こうやって想うことが自責、後悔の念を抱えた傷だらけの心を覆う、長女にきっと私の愛が伝わる、そんな風に思えるのです。


そして、今年、気持ちが向いたら

まだ行けてない、ずっと避けてた

自死遺族の集いに参加してみようかなと思っています。

今年は3月に新居が完成したら引っ越しします。そこでの生活が落ち着いたら。その時の私の気持ち次第です。