姉を突然亡くす。
若い人間の亡骸をみるという経験をした妹達。
三女は当時一歳だったから覚えてないだろうが、
次女にとってはものすごい経験。
そして、目の前にいた姉を亡くしたままの生活、人生は、この先もずっと続いていく。
次女も三女もものすごく良い子です。
三女は私の次に、唯一、お仏壇に話しかけて、手をあわせる。お鈴を鳴らしたいのもあるんだろうけど、しっかり手を合わせ、目を瞑り、「○○ちゃん(長女の名前)、ありがとうね。」と言う。
私がいつもやってるのを見て覚えたんだろう。絶対、長女は喜んでいる。
次女は、お仏壇や姉の動画とか、姉が生きていたということを感じさせるものからはなんとなく距離を取ってるようですが、姉の話はたくさんします。「今、そばにいるかなぁ。それとも、お友達と遊んでるかな?バレーしてるかな。」とか。
今日は2人でお風呂に入りましたが、自分で体を洗いながら泡でシャボン玉を作って遊ぶ次女の横顔をみて、長女に似てきたなと思い、それを伝えると、にっこりしながら「ねぇねみたいに、立派な人になる。バレー以外ね」と、突然言ったのです。
私はなんで幸せなんだろう。
長女を自死させた愚かな母なのに。
どうしてまだ、幸せを感じられるのだろうか。
それはきっと、やっぱり、生きて。そうどこからか言われている気がする。
ママ、生きてね。私の分まで。そんな風に長女が言ってくれてるのかもしれない。
長女を亡くした、自死させたという現実は苦しく辛いけど、そのことから生まれる幸せはある。
今、ここに。
今を生きる。