今日、職場に、今産休でお休みしている方が産後、生後1ヶ月の赤ちゃんを連れて顔を出された。
私は直接知らない方だけど、私の係長の部下だった人で、そばで赤ちゃんを見させてもらった
まだ首が座ってなくてふにゃふにゃ。
スリングに包まれて、お母さんの胸でスヤスヤと寝ていた。
夜泣きもしないそうで、6時間は続けて寝るそうなんと親孝行。
亡き長女は、赤ちゃんの時はそれなりの夜泣きがあったけど、一歳くらいからはほとんど手がかからなかった。
生後4ヶ月から保育園に通い出したこともあってか、おむつが外れるのも早かったし、私は何も教えてなくて、保育園で全部覚えてきた。
当時の私は「手がかかる子ほど将来、親孝行になる」とかいう言葉について、じゃあこの娘は将来親不幸になっちゃうのかな。って考えたりしてたことを思い出した。
世間から見たら、自死したのだから、親不孝だと言われるよね。
でも、私はそうは思いません。
自死したという過去はもう変えられません。
そこを軸に色々と思うと、最期までやはりあの娘は親に心配させたくないということを考えていたと思うんです。だから、もうこれ以上、自分はここにいない方がいい、そんな風に自分を犠牲にして、自死してしまったのだと思います。
だって、遺書の書き出しが「今までごめんなさい」なのですから。何も謝ることなんてないのに。
ここで自分の命を途絶えさせて、今後は心配させないで済むと。
そのまま生きていたら、今まで長女が必死に守ってきた「しっかり者」「親に心配かけない」ってことが続けられない、そのくらい生きづらくなってきていたのかなと思います。
中学生になり、彼氏ができたり、スマホで色んな情報を得たり、そんなことで本当に長女がしたいことが色々と出てきて、でも母親の私にそれを知られると、勉強してないとか、スマホばかりとか言われてしまうから、必死に我慢したり、隠れてコソコソしてたり。。。
そんな暮らしに疲れただろうから。
あの日々を変えられる自信なんてない。いつもと変わらない自分を完璧に演じていた長女だから、気付けるわけがないのです。
赤ちゃんの小さな手足を見て、15年前の長女を思い出して。同じように産まれて、おばあちゃんになるまで生きると思っていたのに。
どうか、この赤ちゃんが健やかに大きくなり、自分軸でしっかりと生きてくれますようにと、心の中で願いました