治療を開始する前に実施したPET-CT

ブドウ糖の代謝を見て

癌のある場所を特定するものですが

姫の場合は

お腹のほぼ全域と転移した脊椎や縦隔の一部で

キラキラと反応していました。

ステロイドを開始すると、劇的に腫瘍が小さくなる事もあると聞いていたので

姫の場合も、きっと小さくなってるに違いないと期待していましたが

癌は依然体内に存在感を放って、居座っていました。




生検後の病理結果を待つ間

ステロイドの量を治療量まで増やした事で

姫の次なる苦痛は、絶飲食に伴う空腹と飲水欲に変わっていきました。


実際の体重も日毎、落ちる一方で

入院時に36kgあった体重は、26kgに減り

肋骨や肩関節、腸骨が浮き立ち

見ていられないほどの身体になりました。


そして


『お腹すいた〜。お腹すいたよ〜。』


と、弱りきって、か細く消えいるような声で

1日に何度も、医師や看護師に訴えるので

カルテや看護記録には『お腹すいたと訴える』『ガムの汁ぐらいなら良いか』と入力されていたようです。


「元気になったら、何でも作ってあげるし、好きなだけ飲ませてあげるからね」


と、姫に何度も言い聞かせ

空腹を耐え凌ぐのに精一杯でした。

そして、空腹で眠れない夜は、薬の力を借りて眠らせていました。


姫の前では、可哀想で水分も食事も取れず

かと言って、病棟のデイルームでの飲食も禁止されているため

朝と夜のご飯は、姫が寝ている時だけ食べ

お昼ご飯の時は、慌てて階下に降りて食べて戻ってくるそんな毎日になりました。

死んだように寝るのを経験した次は、食事を丸呑みするという経験をし、鵜になった気分でした。


いつ穿孔を起こすとも限らない腸管なので

飲食で刺激する事はできず

また、輸液から栄養が入ると

腫瘍を返って育ててしまうリスクがあるとの事で

ステロイドを使いながらの絶飲食は

姫にとって本当に過酷で、生き地獄だったと思います。



ただ、ありがたい事に

悪化していた腎機能は正常値に戻り

浮腫を起こしていた身体から余分な水分が引け

胸水も腹水も消失しました。

尿細管障害に伴う血尿は、依然続いていて

心配になる色ではあるけれど

データとして徐々に良くなり始め

人工呼吸器を装着しなくても

酸素化も維持できるようになりました。


この頃の姫にとってのもう一つの苦痛は

留置されていた尿道カテーテル。

とにかく、その不快感が嫌過ぎて

お股をずっとクーリングして過ごしていました。


この不快感を忘れ、空腹を満たすために

元気になって家に帰ったら食べたいもの、飲みたいものリストを作成し

大食いのYouTubeをひたすら見ていました。


『おうちに帰ったら、サンタさんに冷蔵庫をプレゼントしてもらう事にしたよ。鍵付きにして、お兄ちゃんに食べられないようにしたい』


と、自室に設置する冷蔵庫の中身も絵に描いていました。



姫の元気になった姿を想像し

一緒に富山に帰るという願いが叶うなら

何でも買ってやりたいし、何でもしてやりたい


そう思う一方で


何も食べられないままに

逝かせる事になってしまうんだろうかと

スマホを見つめる姫の傍で

相反する感情がぶつかり合い

また苦しくなっていました。









大阪に来てちょうど2週間が経過した日

生検の病理結果が返ってきました。


例の別室に案内される時は

良い話を聞けた試しがないので

今回もきっとまた嫌な事を聞かされるに違いないと

覚悟して臨みました。


血液腫瘍科の医師から聞かされた病名は

『びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫』

ステージIII期

(小児慢性の意見書にはIV期と記載されていたので、きっと控えめに言われたんだと思います)


唯一の救いは、CD20陽性とあり、リツキシマブという薬がよく反応するタイプのものだった事。

EBV由来ではないため、化学療法の効果が得られにくいT細胞型、NK細胞型だったら最悪だと思っていたので心の底からホッとしたのを覚えています。


抗がん剤がしっかり反応してくれればIII期なら

70%の確率で寛解に持っていけるそうで

その数字を知って、心から安堵しました。

(ただ実際はIV期なので、もっと低くなるのでしょうけど・・・)

手遅れなんだと、半ば姫との永遠の別れも覚悟していただけに、一筋の光が差し、心が軽くなりました。


腎臓が持たない可能性や化学療法によって一気に腫瘍崩壊し腸が穿孔を起こすリスク、感染症や血球貪食など命に直結するトラブルもあるので

命懸けの治療になることは間違いありませんが

『治療を受け、寛解を目指せる』

という事が分かり、希望が持てました。


道のりは長くてもいい

どんなに時間がかかってもいい

姫が生きていてくれるなら

そして、元気になって家族でまた笑って過ごせる日がくるのなら


ママは貴女のために何だってするよ!


そう思えた日になりました。