姫と闘病生活を送り始めた頃

姉上は小学校入学を控えた6歳児で

兄上は幼稚園入園を控えた3歳児でした。

二人ともまだ小さくて

本当は、まだママンのそばにいたい年頃なのに

赤ちゃんの姫が病院で痛い思いをして頑張っているからと

『寂しい』

なんて一言も言う事なく頑張っていました。




富山の大学病院に入院していた期間の4ヶ月は、会える頻度は週一回

泣くと心臓に負担がかかるから

週末におばあちゃんに数時間だけ姫をお願いして、会いに帰っていました。



大阪の大学病院に転院後から7ヶ月間は、会える頻度は更に減り、ひと月に一回

姫を重症室に預かってもらい、数日富山に帰って子供達と過ごすという生活

しかし、ピンと張り詰めた緊張の糸が切れ、貴重な時間は高熱にうなされる時間でもあったな…。



そして、アメリカに渡航後から移植を終えて退院するまでの4ヶ月は、一度も会えませんでした。




あの頃は

姫の命をつなぐ事に必死で

上の子達の心のケアをしっかりしてあげる余裕もなく

二人の心を犠牲にしていた気がします。



後になって母から聞いた事ですが

夜中に突然目を覚まし

ママが恋しくて大泣きする二人と

二人を不憫に想う母が3人で

涙した日が何日あったそうです。


もう限界だと想っても

終わりがくるまで

ただただ耐えるしかない日々

家族のみんなが

それぞれに辛くて苦しい試練を与えられていました。



兄弟が一緒に過ごし

遊んだり

喧嘩したり

ご飯を食べたりする事って

何もなければ当たり前の事のように思われますが

闘病を強いられている家族にとっては

目標だったり、夢だったりします。



何でもない幸せの価値って

失って初めて知ることができるんですよね。




洗濯物を畳んでいたら

突然近くで激しい兄弟ゲンカをし始めた3人

いつもなら

コラァーやめなさいムキームキームキー

と、カミナリを落とすのですが

今日は闘病生活を送ったあの頃を

ふと思い出し

幸せを噛み締めてしまいましたおねがい