産まれた時のことを想像したら

愛されて産まれてきたのだから
わたしはずっと愛されるはずだって思った。


だから
嫌われるかもしれない
ひとりぼっちになるかもしれない
難しいことをしたいと思うんだ。


嫌われたくないとか、
一人になりたくないとか
思って動けなくなるような
一瞬があるとするなら


産まれた時のことを
思い出して欲しいと思ってるよ。


覚えてないかもしれないけど
想像ならできるよね。


産まれてすぐにトイレに捨てられた子と
風 俗穣時代に出会って。


その子が言ったんだ。


誰かが愛してくれたから
今生きてるんだよね、わたし。と。


それを聞いたわたしは
崩れそうになった体感を
今でも覚えています。


その子より格段と恵まれた環境で産まれたわたしがよ?
愛されて産まれてきただなんて思ってもない
自分の貧しさを自覚して震えたわ。


しかも同い年。


親のことが好きだとか嫌いだとか
ひどいことされたとか、優しかったとか
どうでもよくて、今自分が生きていたら
愛されてた証なんだよね。


ってことは、
人生って愛されていることを
知る旅でもあると思ったのよ。


それが生きる目的。


風 俗穣のカミングアウトの
子宮委員長はる時代は
“風 俗穣”の固定概念を壊しながら
どうやって愛されていくかがストーリーでした。


3000人のファンクラブにテレビ出演に出版に映画に
極め付けは現役のままの妊娠と結婚とって。


存在が18禁のあの狂気の時代でも、
わたしはたくさんの人に愛されすぎました。


だからまた一からやりたかった。


読み方もわからない島に一人で移住した。
問題は、わたしは島に知り合いがいないのに
島の人が全員わたしを知っていたことだった。


蓋を開けてみれば
わたしのことを知ってる人なんて
一人もいないくらい人違いと噂話のみ。


これは子宮委員長はる時代の
“風俗穣の固定概念”に相当する
“人違いの噂話”という世間や社会よね。


東京にいた時はネットアンチ、
田舎に来たら対面アンチ。


東京にいた時は練習で、
移住した後が本番なんだって思った。


つらかったけど、
つらいわりに、つらいほどに、
地盤沈下を起こすほどに地に根を張った。


もう『このやろう!』だよね。


東京がネットアンチならネットファン。
田舎が対面アンチなら対面ファン。


徐々に家族みたいな激アツな知人が
島でも増えていきました。


結婚して子供も親も
リアルな家族も増えた。


わたしはより一層濃い世界で今生きてるんだな。


恥ずかしいけど、
愛されることを諦めたくなかったし、
諦めて拗ねる方がもっと恥ずかしい。





『わたしなら愛されるはずだ』


というのは、
自分を高く見積もってるわけじゃなく
単なる過去の事実という“記憶”なのです。


これって誰でも
平等に使えるカードだと思ってる。


学生時代のあらゆる制限を生き抜いて、
今、せっかく自由な大人を生きているのに
やりたいことができない人生なんて
歳をとった意味がないと思ってる。


もしこの先、挑戦したい何かがあるなら
高望みややる気任せの希望より
愛された記憶を想像でいいから思い出せたら
いいなって思ってます。


ちなみにどこの親も歪んでるし、
歪んで見えるのは人生怠慢してる自分の問題。


わたしもそうでした。


世間や親に認められるように
恥じないように生きてるうちは
親の見え方が歪んでる。


自分だけの人生を生き始めたら
親は自分を生んだ他人になる。


素晴らしい人生にするのは
親じゃなくて自分自神。


吉野さやか