慣れるまで慣れるまで

とことんやり尽くす。

 

 

これが

自分にとっての

“当たり前”になるまで。

 

 

最初に慣れたかったのは

自己開示で心を裸にすること。

 

 

理由もちゃんとある。

 

 

東京でふらついてたわたしは

集団レ◯プで裸の写真を撮られ、

それから脅され続けて死にたくなった。

 

 

ばら撒かれるのが怖かった。

 

 

週刊誌にも

そうゆう記事が

あるのを知り、

今度は自分の番かもしれないと

毎日目眩がして

 

 

希望いっぱいに

膨らんだ夢のような

温かい東京の街が、

いつしか威圧的に感じて

歩けなくなった。

 

 

少しでも外に出ようもんなら

膝がガクガクした。

 

 

なんだかこの先ずっと

“負け”が決定したように思えた。

 

 

どうしたらいいんだろう?

 

 

 

 

その、わたしの裸の写真が

ばら撒かれることに勝つには、

わたしがその、自分の身体の裸と同じく

裸にした心を強くすればいい。

 

 

ブログを始めよう。

 

 

心臓の皮がめくれるくらいに、

自分をさらけ出そう。

 

 

そう決めた。

 

 

ブログを始めた。

 

 

怖くて怖くてたまらなかった。

 

 

でも、自分を出すことが

当たり前になるくらいに

強くなりたかったし、

 

 

普通に元気に生きるには

それが必要だったし、

必要以上にやらなければ

いけなかった。

 

 

公開で自分の気持ちを書く

その一文字一文字が心臓バクバクで

死ぬんじゃないかってくらいに

近いうちに心臓が麻痺しそう。

 

 

でも、それで死ぬなら本望だ。

強くなろうとしたんだもん。

だから、ひたすら続けた。

 

 

ブログには読者も増えて、

少しずつ少しずつ

わたしの世界は柔らかく

温かさを取り戻した。

 

 

ブログを始めたのは

11年前ですね。

 

 

子宮委員長はるの子宮委員会

というブログを書いていました。

 

 

今はそのブログは

引退の時に消滅してしてしまいましたが、

 

 

今日、夕食をつくっていて、

3人の子供を連れた旦那さんと結婚して、

慣れないママごとに慣れるまで

頑張ったんだなって達成感を感じたんだよね。

 

 

野菜切るのめんどくさかった、

肉や魚を切るのもそのまな板も嫌いだった、

大きな鍋を洗うのも嫌だった、

洗剤で手が荒れるのが嫌だった。

 

 

いろんなめんどくささや、

嫌を乗り越えられたのは

大好きな旦那さんと

可愛い子供たちのおかげです。

 

 

夕食が給食とかぶって焦ったけど

さらっと対応できて

給食より盛り上がった今日の夕食。

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かは、

『まだママごとし始めて半年でしょ?』

と思うのかもしれないけど、

 

 

12歳の長女がいるから、

12年分をこの半年に凝縮させた、

あるいは12年分を取り戻した、

と思ってます。

 

 

やらなきゃいけないことが

減ったわけじゃない。慣れただけ。

 

 

その当たり前に慣れようとする根性は、

10年以上も前の事件からつくられたものだから、

わたしはもう被害者ではないし、

加害者に感謝してる。

 

 

吉原のソ○プ穣なんぞ

花魁がまだ人気な世の中だから

華やかなものでして。

 

 

歌舞伎町のヘ○ス穣だって

まだ可愛いもんでして。

 

 

島の飲み屋でケンカする時、

あまりに見下されると反発の仕方によっては

言われた側はかなりダサいので、

『新宿の立ちんぼだったけど何か?』

って言い返す。

 

 

さぞかし権力があって

周りからはゴマすられるんでしょうけど、

島に住民票うつして納税1億とか、

寄付4000万円以上したとか、

あんたの目の前のなんかムカつくこの女は

新宿でホームレスしてましたけど。

 

 

アンチの全員にも言いたい。

 

 

誰もがわたしより

幸せな環境だったはず。

 

 

わたしは誰でもできる

誰もやりたくないことばっかりやってきた

結果の今です、幸せそうに見えるから

ムカつくだけ。

 

 

でもわたしは

何にも変わってない。

 

 

 

景色は移り変わるけど、

いつだってその時を生き抜いて

歴史を紡いできただけ。

 

 

どんな時代だって

わたしには隠し事はないよ。

 

 

さやりんご🍎