瑠香ですにっこり



「自分なんてもの、ほんとはなかった」という気づきの続き指差し









そんなふうに、これからのわたしは生きてみたい。


そう思ったら、もう一つ、気になることが出てきました。





もし「自分」というものが、さまざまな影響によってその瞬間その瞬間に生まれているのだとしたら。


「世界」の方は、どうなんだろう。




わたしは今まで、「自分」と「世界」があって、その間に境界線があると思っていました。


こちら側が自分。あちら側が世界(自分以外の人、モノ、こと、環境)



自分が世界から影響を受ける。


でも、本当にそうなのだろうか。




たとえば、同じ場所にいても、同じものを見ても、人によって見えている世界は違う。



たとえば、同じ香りを嗅いでも、心地よいと感じる人もいれば何も感じない人もいる。



たとえば、同じ音楽を聴いても、昨日の自分と今日の自分とでは、違う響き方に聞こえるときがある。




だとしたら、「世界」というものも、最初から固定された形で存在しているわけではないのかもしれない。




自分が変われば、世界の見え方も変わる。


世界から受け取るものが変われば、自分もまた変わる。




「自分」と「世界」は、それぞれ独立して存在しているというより、その関わりの中で、互いに変化し続けている。





世界なんてものも、ほんとはないのかもしれない。






もちろん、物理的な世界が存在しないという意味ではなく。


「これが絶対的な世界だ」と固定して捉えられるものはないのではないか、ということです。




あるのは、自分と何かが触れ合ったときに生まれる、その瞬間の世界。



人と人が出会えば、そこに関係が生まれる。


香りと身体が触れれば、そこに感覚が生まれる。


音楽とその日の自分が出会えば、そこに感情が生まれる。


自然と身体が出会えば、そこに美しいと感じる体験が生まれる。




自分と世界が触れ合うことで、何かが生まれる。




そう考えると、「境界線」というものの見え方まで変わってきました。




今まで境界線は、自分と他者を分けるためのものだと思っていた。


でも、本当は違うのかもしれない。




境界線は隔てるための壁ではなく、


何かと何かが出会う場所。




違うもの同士が触れ合い、影響し合い、そこから新しいものが生まれる場所。



つまり、


「境界」ではなく、「接点」。




そう考えると、わたしがこれまで惹かれてきたもの、影響を受けてきたものにも、共通点が見えてきました。


火と水。


自然と人工。


人と人。


自分と他者。


自分と世界。




異なるもの同士が触れ合う、その境目。



わたしは、もしかしたら、


異なるものが出会うことで、何か新しいものが生まれる場所、そして、そこで生まれる純粋なエネルギーに惹かれていたのかもしれない。





そして、それは自分自身にも言える。


固定された「自分」があって、そこに世界から何かが加わるのではない。



世界との接点のたびに、その瞬間の「わたし」が生まれている。



そうだとしたら、自分を守る必要もない。


世界から距離を取る必要もない。


ただ、触れてみる。


感じてみる。


影響を受け入れてみる。


そして、その接点で生まれたものを味わってみる。


「わたし」と「世界」を分けて考えることをやめたら、


そこに残ったのは、意外なくらいシンプルなものでした。




あるのは、接点だけ。



その接点でわたしは生まれ続け、世界も生まれ続けるのかもしれない。