瑠香ですにっこり



前回の続きです




武神でも倒せなかった香香背男は、なぜ織物の神に平定されたのでしょう?




織物の神様と聞くと、機織り→織姫を連想する方が多いのではないかと思うのですが、どうでしょうか?



機織りというのは女性の仕事でしたから、機織りに関係する神様は女神が圧倒的に多いですよね。



わたしも最初、建葉槌命は女神なんじゃないの?と思っていました。



確かに建葉槌命は倭文神ともいい、倭文連の祖神ともされているので、織物に深い関わりのある神様で間違いはありません。




そして、布を生み出すということに長けていたといえば、阿波忌部氏です。


四国の阿波から黒潮に乗って、房総半島の館山あたりに上陸し、未開の地に麻や楮を植え開拓していった氏族が、次に目指したのは今の茨城県、常陸国でした。



この阿波忌部氏の系譜に天羽雷雄神(アメノハヅチオ)が登場します。


アメノハヅチオ=タケハヅチ


同一神と言われています。






◆2段階構造の歴史の流れ



常陸国に阿波忌部が入って来て、多氏や安曇氏など諸々の勢力とともに常陸国を開拓していったのは、3世紀〜4世紀の頃と思われます。


この頃、西側は大きな戦をしていたこともあり、東へ東へと勢力を伸ばしていったのかもしれないし、常陸や奥州の金を目的としていた可能性もあります。



兎にも角にもこの常陸国の連合勢力は、その後の時代、中央政権が法や制度によって日本を纏めようとした時に簡単に手出し出来ない存在になっていました。



めっちゃ強い。強いし金や鉄で豊かだし、なんなら東北の蝦夷とも手を組んで盤石なる力を蓄えていたかもしれません。  



天背男=北極星(大和から見たら金星)を信仰していた阿波忌部やシリウスを中心に星の信仰を持つ安曇氏といった勢力と甕信仰の多氏。



あくまで仮説ですが、その連合勢力が朝敵の天津甕星として描かれたのではないかと思います。



この仮説の流れでいくと、本来鹿島の地を治めていた【多氏+安曇氏(+阿波忌部氏)】=鹿島大明神は、天津甕星とほぼ同じ存在ということにもなり



天津甕星=武甕槌命



と考えることもできます。



敵対関係なのに、神名に同じ「甕(ミカ)」が配されていることもハマります。








さて、時代は流れ5世〜6世紀頃。その頃には、忌部も阿波忌部も朝廷側に飲み込まれてようとしていました。



これまで宇宙の叡智や星々の力を降ろし、宿すものである神宝というものが祭祀においては重要でした。



布、玉、鏡、剣、甕(器)、塩、酒…


それら諸々の氏族によって創り出された神の依り代は、膨大な労力と時間と叡智をかけて生み出されたものです。


それらは氏族にとっての誇りであり、命そのもの。



神に捧げるものとは、命に代わるものでなければならない。



その神なる宝を、祭祀の道具として扱ったのが中臣氏でした。



彼らは、神と繋がるのは「物」ではなく「言葉」であるとしました。



祝詞こそが、祭祀において最も重要なものであると。

そして祭祀に必要な神宝を創る氏族たちは、中臣氏の下請けのような立場に格下げされてしまったのです。














以上、AIまとめ








タケハヅチを祖神として祀る倭文氏は、この頃には中央政権としっかりと結びついていました。


つまり、カカセオVSタケハヅチの歴史背景は、二段階構造になっているんですよね。



第二波は、いわゆる常陸国に派遣されたタケミカヅチやフツヌシ、そしてタケハヅチの時代です。


しかし、第一波として3〜4世紀頃に鹿島にやってきたタケミカヅチ【多氏+安曇氏+阿波忌部】やフツヌシ【物部氏】とは中身は別物なのです。


第二波のタケミカヅチやフツヌシは【中臣氏】の氏神として取り込まれた後の鹿島神宮であり香取神宮です。


タケハヅチの勢力は阿波忌部の流れではあっても、中臣氏の傘下に組み込まれた後の阿波忌部ということになります。



タケハヅチと同一神とされる天羽雷雄神は阿波忌部の祖である天日鷲命の息子とされていますが、実は系譜によっては天日鷲という名は何代にも渡って同じ名が連なって記されています。


おそらく、ヒワシの名は世襲制だったのでしょう。


もしかすると代々ヒワシの名が受け継がれて行き、大和政権に属するようになってから、ヒワシの名は神格化されて世襲されなくなったのかもしれません。



初代ヒワシからハヅチの間に100年以上の時が流れているかもしれませんね。




長くなったので、続きますにっこりなかなか終わらぬ