瑠香です![]()
前回の記事では出雲の古代信仰、サイノカミと猿田彦について、少しだけ掘り下げてみました。
今回はクナト大神とアラハバキ神の起源についてのお話です。
まず先に言うと、クナトもアラハバキも色々な説があります。
その中でわたしが出会った情報のシェアであること、色々ある説の1つであることを前提として綴っています。
そのことをご了承ください。
クナト、の響きにとてもよく似た神さまがインド神話には登場します。
ブラフマーの子であり、ブラフマーの最愛の息子という意味を持つクラトゥという神です。
神というか賢人という位置づけで、仙人(リシ)とも表現されます。
ブラフマーの生み出した7人(8人や10人の説もあり)プラジャーパティという宇宙万物の創造神の1人です。
クラトゥにはサナティ(サンナティ・サンサティ)という妻がいます。
この宇宙神であるブラフマーの息子であり、インド神話のリシであるクラトゥが、インドから日本に渡り、出雲を拓いたというクナト大王であり、妻サンナティがサイ姫だというのです。
クラトゥ→クナト
サナティ→サイヒメ
たしかに音の響きは似ています。
この音の響きから、もうひとつの神の存在も浮かび上がってきます。
クラトゥの母はサラスヴァティーだと言われています。
サラスヴァティーは日本でも有名ですよね。
弁財天の元になったのがサラスヴァティーです。
このサラスヴァティー、実はとても起源が古い神様なのです。
サラスヴァティーの信仰を遡ると、古代ペルシアまで行き着くことになります。
ペルシア神話にアナーヒター(Anahita)という女神がいます。
ゾロアスター教でも崇拝され、とても高い人気を誇る女神でありました。
「清浄」という意味を持ち、本来は川や水を司る水神だそうです。
この女神にはもう1つの名前があります。
ハラフワティー・アルドウィー・スーラー
Harahvati Aradvi Sura
「水を持つ者、湿潤にして力強き者」という意味があります。
ハラフワティーはサラスヴァティーのペルシャ語読みであり、インド・イラン共通時代から信仰されていた女神が、民族の分裂とともに2つに分かれたとされます。
つまり、ハラフワティーもサラスヴァティーも起源は同じで、=アナーヒターであるということになります。
アナーヒターはゾロアスター教でも崇拝され、主神アフラ・マズダーや太陽神ミトラよりも人気があったそうです。
そのためか、バビロニアではイシュタルと習合され、フェニキアではアスタルト、リディアではキュベレーやアルテミス、ヘレニズム時代のギリシャではアフロディーテと。
また、ペルシア七曜神では金星とされました。
こうして多くの地母神や根源的な女神たちと習合していきました。
さて、サラスヴァティーと同起源のハラフワティーですが、Harahtatiをよく見てみると
HARAHVATI→
子音のHは読まず母音が残るので
(H)ARAHVATI →アラハバキと読めます。
もうお分かりですよね?
アラハバキはサラスヴァティーであり、さらにその起源は遥か遠く古代オリエントにまで遡っていくのてす。
そして、イシュタルでありキュベレーでありアフロディーテなのです。
豊穣の地母神であり水の神であり、星の神でもあるのです。
もちろん、アラハバキ神も他の神々と同じように、日本の様々な信仰と習合し重なり合っているので、ペルシアやゾロアスター教のアナーヒターと全く同じではありません。
日本独自の姿、信仰となっていることは間違いないのです。
ですが、謎の神アラハバキは水源の神であり、豊穣の神であり運命の神であり、また金星でもあるという様々な要素を宿しているからこそ、その謎の深さに今も多くの人が惹きつけられるのかもしれません。
そして、アラハバキはクラトゥの母、(もしくは母系の先祖か祖神)サラスヴァティーだとするならば。
アラハバキ神がサイノカミと別の信仰対象でありながら、けして切り離すことのできない存在であることも頷ける気がします。
アラハバキは、クナト大王率いる一族たちが元々信仰していた神なのだと思います。
もしかしたら祖神のような存在だったかもしれません。だから、クナトの母という表現になっているのかもしれません。
また、出雲口伝の伝承者である冨當雄氏は「アラハバキは弁財天に姿を変えた」と言っていたと伝えていますが、そこともハマりますよね。
そもそもアラハバキと弁財天は同一神だったと、そういうことなんだと。

現在、神社仏閣で祀られている弁財天がすべてアラハバキに起源があるかと言ったら、そうではないと思います。
ですが結局のところ、すべての信仰は繋がっていて、わたしたちが知る神仏の形というのは、ほんの一つの角度、ひとつの表現でしかないのかもしれません。
アラハバキという謎の古代神を辿っていくと、遥か遠くの地、ペルシアへと繋がり。
そのペルシアの川を辿った先の源泉こそが、アラハバキの大いなる源なのかもしれません。
アラハバキは隠された謎の神でありながら、色々な経緯で有名になった神の名という印象があります。
男神という人もいれば女神だと言う人もいますが、そもそも性別などないのかもしれません。
たくさんの説があり、たくさんのイメージがある。
それほどに、遥か悠久の時の流れの中で、変化し埋没しを繰り返してきたのだと思います。
重なり合う人の想いによって、その正体がよく分からないものになるということは、アラハバキ神に限ったことではありません。
見る人が何を介して見るのか。どんな想いを持っているのか。
それによって神霊というのは、変化するものです。
折り重なり蓄積された人の想い。時にそれは神の名を変え、姿さえも変えるのです。
それほどに人の想いの力は強いものです。
なので、わたしは正直言うと、アラハバキが何であるのかということも、古えの神々の本当の姿(本来は何を祀っていたのか)がどうであったかも
知りたいと思いつつ、心の底では知っても知らなくてもどっちでもいいとも思っています。矛盾していますが。
2000年(もしくはそれ以上)も大昔のことなど、どれだけ調査をしても本当のことは誰も知り得るはずがないからです。
アラハバキという古代の神に想いを寄せる人たちそれぞれにアラハバキは宿り、それぞれの姿を見せている(見ている)と、わたしは思うのです。
それぞれにそれぞれの神の姿があって、それはその人の生きてきた経験(魂の経験も含め)を通してでしか映すことのできないものです。
それでいいと思ってます。それが真実だとも。
もちろん、神の名を使って人を唆したり自分のエゴを満たそうとしなければ、ですけどね。


