人のために
人の役に立てるように


そんな言葉を聞くと
心がチクチクするような感覚になる。


そうした方がよいのだと思う反面
もう、そうしたくないって思ってた。


それはなぜかと問うと

心が死んだあの時に
戻ってしまいそうだから

ってノートに書いていた。



ずっとずっと

人の役に立ちたいって思ってて

無理して頑張って
空回って

そして、心が死んだ。



でも本当は

それは人のせいにしてるだけだって
八つ当たりだってことも知ってた。


そこじゃない。


では、どこなんだろう。


それにちゃんと向き合うことにした。


そしたらね


わたしは
必要とされたかったんだって気づいた。


...


必要とされたい。


... 必要とされたいってことは

 
自分のことを


必要のない人なんだ。

必要ない=いらないんだ。



って思ってるんだって気づいた時



いろんな記憶がでてきた。



トラウマを思い出したり
いろんなことが重なって辛かった高校生の時
誕生日を親に忘れられて
わたしは「必要ないんだ」って泣いた日。


小さい頃から
兄と弟がいるから
わたしって「必要なのかな?」って
思って過ごしてた日々。


生まれてから一ヶ月して
先天性の疾患が見つかって手術、入院することになって
泣いても泣いてもお母さんはいなくて
会えても帰ってしまって
わたしは「必要ないんだ。いらないんだ。」
と感じてしまった日々。


そんなことの積み重ねで


わたしって
必要のない人間なんだ。

わたしって
いらないんだ。


って思い込んでいった。


そして


そう、思うことが辛くて

いることの意味を作るために


人から必要とされたい

人のために
人の役に立つ


っていう言葉に縋ったんだ。



人の役に立てると
ここにいていいのだと安心して

人の役に立てないと
ここにはいられないんだと絶望してた。


そりゃあ


そんなふうに思ってたらさ
死にたくもなるよね。

ずっと自分の存在を
自分で否定してるんだから。


...


必要とされたかったんだね。

ここにいてよ

大切な存在なんだよ

って言って欲しかったんだね。


自分に。


その穴を埋めるために

人のために
人の役に立てるようにって

わたしが他人を必要としていたんだね。

わたしは人のためにとかいって
全部自分のためだったんだね


ってノートに書いてる最中

すごい涙が出てきた。

悲しい涙だった。




感情を感じた後は

でもね、事実は違うよって
小さいときの自分に話しかける。



入院したとき
お母さんと会えた時間は少なかったけど

お母さんは仕事や育児、家事をしながらも
毎日わたしに会いにきてくれてた。

それは、会うことで治るのが早くなりますよって
看護師に教えてもらったから。

わたしが早く元気になるように
早く帰ってこれるように
会いにきてくれてた。

なぜかわかる?
あなたのことが大切だったからだよ。


って誤解を解いていく。



それを解いていくと


大切にされていたことしか残らない。

愛されていたことしか残らないんだよね。


そしてまた泣けるの

今度は温かい涙。


...


わたしは大切な存在で
わたしは大切にされてきたよ。

そしてこれからも
ずっとそうだよ。

わたしの居場所はわたしだよ。

ここにいてね。

わたしにはわたしが必要だから。




そう声をかけるとすっきりした。




写真ってわたしの感性で撮るから
わたしが必要なんだよね。

だから、好きなのかも。



自分で自分を満たしてあげよう。


それが社会貢献です。