いうまでもなく、学習の最終形態のひとつは、自分で考えられるようにすること。
「自分の頭で考える」と言っても、いきなりは無理なので、知識であるとか考え方などをまずは学ぶわけです。
考えるためにこそ知識というものを脳に蓄える。
材料みたいなもの。
食材が一個しかない冷蔵庫と、季節のものをはじめ、食材があふれている冷蔵庫。
どちらが豊かなお料理を作れるのかと言えば、明らかでしょう。
材料がそろっていても、「腕」つまり食材をどう料理するのかその技術もないといろいろなお料理を作ることはできません。
「煮る」こと以外に調理法を知らない料理人の料理には、おのずと限界があります。
食材についての知識とその調理の仕方、これらを身につけるときに行き当たりばったりでもいけません。
段階を経なければならない。
筋力がなくてフライパンを持てないのなら、おいしいチャーハンはできません。
いくら生きのいい鯵を与えられても、魚をさばけないのなら、お刺身に加工することはできない。
易しいものから難しいものへと、階段を上がるように一つひとつの技術を身につけていくことが、確かな上達を保証するのです。
その、一つひとつのステップにおいては、自動車教習所にも似た進め方が必要です。
すなわち、ある段階に十分習熟するまでは、次の段階には進めない。
方程式が解けないのに、連立方程式を習ってはいけない。
その段階では、おおげさですが、自分をむなしゅうして、つまり自分というものをいったんなくして技術の習得に努める必要がある。
計算ができない生徒の特徴は、「教えた通りにできない」です。
その原因はいろいろあろうとも。
「話を良く聞いていない」「変な癖がついている」「自分で勝手にやり方を変更してしまう」
どのような理由であれ、「教えたことがその通りに生徒の中に定着していない」。
簡単に言うと、「素直ではない」
「素直に、教えた通りに入っていかない」
それでは、いつまでたってもできるようにはなりません。
包丁の使い方でも、
「あかんて、手の向きがちゃう、こっちの手はな、こうすんねん。」
「え、でも、このほうが自分的にはやりやすいです。」
これでは、いつまでたっても上達どころか、なにひとつ身につかないに違いありません。
まずは、教えられたとおりに練習すること。
無意識に手が動くまで練習すること。
アレンジとかオリジナルは、その後。