よく、スピリチュアル界隈では、
”無償の愛”と言うものがとても美しく高貴な愛として語られています。
もちろん、マザーテレサのような大きな無償の愛は素晴らしいものですが、
それを逆手に取ったかのように、
無料で何かを誰かに依頼してやってもらうことを
”無償の愛”と呼ぶ人が一定数います。
無償の愛とは、自らの発案や気持ちがダダ洩れて行う時にそのように表現されてしかるべきものですが、
相手に対して、”無償の愛”という表現を用いた「無料の愛」を依頼する形で求めるのは、いわゆるテイカーになっている状態。
つまり、求めたものは与えられることを必然的にすることにも繋がるため、無料サービスが好きな人ほど、
お金に困るというループも引き寄せがちです。
しかし、スピ界だと、”無償の愛”を求められたらそれをしないと愛がない人の様なレッテルまで貼られたりするという謎現象も起こることがあって、
それって、言葉巧みにエネルギーを搾取してはいないか?と、
そこに気付くことも大切です。
愛が溢れて、それを無償の愛として届けることは素敵なことなので、出来る人がどんどんやっていくのはいいことです。
しかし、その人にとってはそれが出来ても、
他の人にとっては同じようにはできない事もあるように、
愛というものは溢れた想いを捧げあうものであって、
無償の愛というものを、誰かに対して求めるものではないんですよね。
もちろん、捧げた愛は結果として返ってくるので、その受け取りはしっかりしていいのですが、
これをして当たり前だよね?みたいな形で、ボランティアを無理強いするみたいな、
いわゆるサービス残業をみんながやっているからという謎理論や圧で押し通してやらせる会社みたいなことが、
愛やエネルギーを謳う精神性の高いはずのスピ界に持ち込まれることが時々あって、
その時点でめっちゃ人間意識全開だったりするのですが、
社会的風潮のようなものに丸め込まれることもあったりします。
本当の意味での次元上昇とはいかなるものか。
本当の意味での宇宙意識とは何であるか。
そして、波動を高く保つこととはどういうことを現すのか。
ゆるふわで不明瞭な状態で理解したつもりになって生きていくのと、
しっかりと、魂レベルで思い出して、宇宙エネルギーを使いこなして生きていくのとでは、
人生の鮮度がまるで違います。
感情や感覚からまるで違った生き方をしているからです。
普通を生きていたら、薄暗く見える世の中であっても、
しっかりと生まれてきた未来を見えている人には、輝かしい世界がそこに存在していることにも気づけるのです。
それは、泥水の底にいるドジョウと、
上澄みの一番上を泳ぐメダカとでは、
同じ池の中であったとしても、見えている世界がまるで違うのです。
みなさんは今、どちらの世界を見て生きていますか?
どちらも間違いではないのです。
いる場所が違っている。
ただそれだけなのです。
あなたはクリアに見渡せる世界と、
泥水で淀んでいる世界と、
どちらを生きていきたいですか?
視界をクリアにして視野を広げ、
視座を高くして生きる方法を教えています。
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