昔使用していた携帯電話。分厚くて折りたためる
そのフォルムさえ懐かしく見えました。
数時間充電をかけた後に、ボタンを長押しすると
使用していたことと変わらない画面がパッと明るく
つきました。
この携帯は、結構長い間持っていた記憶があり、
色々なやり取りをメールでしているはずです。
昔の携帯で、容量があまりないのか
75件という表示が受信メールに出ていました。
昔の思い出にふれる。
それは、過去の私に出会う作業でもあります。
どこかへ出かけたり、過ごしたりした思い出はあるのに
不思議とその頃自分が何を考え、何を思ってすごしていたのか
あまり覚えていませんでした。
最初に出てきたのは、いくつかの友達とのやりとりでした。
その中に花さんから送られたメールもありました。
今度○さんと一緒にお茶しよう
仕事の予定分かったら、教えてね
あの頃も花さんとどこかへ出かけていたなーと思いながら
メールを進めていると、夫からの受信メールもみつけました。
今日は寒い折角洋服買ったのに、これは今日じゃない
それに対し私はこう打っていました。
それは残念だったね似合っていたのにね
暖かくなった時にまた着れば^^
違う日には、
このハンバーグうまいまた食べたい
あーそれね!手作りじゃないよ(笑)○○さんが○○特製という
やつで美味しいからってくれたやつもうありませーーん
ガクリ
涙が出ました。
何気ない日常の会話なのだと思います。でもこの10年で
私たち夫婦は確実にすれ違っていったのです。
美味しいものを美味しいと良い物を良いと素直に
言う事がなくなっていました。
昔の夫と昔の私は、もっと純粋にお互いに自分の気持ちを伝えようとしていたのです。
無理をする事もなく、ごく自然に思ったことを伝え合っていたのです。
今の2人は、お互いの感情を隠し、その感情の影さえもみせないように必死になっているのです。
ごく自然の感情、楽しい事・嬉しいこと・悲しいことも伝える事が難しく、感情の片りんを見せないように精一杯のバリアで守っています。
そして、その感情達を心にいっぱい貯めこみ、限界を迎えると何の前触れもなく、突然爆発させてまた、お互いをけん制し合うのです。
バカみたい・・・。
泣きながらそう思いました。無理をしている自分が滑稽にみえました。
素直に感情が伝えられたなら、もっと違った道を歩けるのかもしれないと思いました。
日々の暮らしの中で、出来事への感動が薄れ、ゆっくりと倦怠が訪れたのだと思います。
その倦怠を改善する事なく放置した結果、私たちは、いつしか違った道を歩き始めてしまいました。
昔の私は、今よりずっと純粋で、今と変わらず夫を愛していました。