『山茶碗ってナンダ』バトルトークは、第2ラウンドに入ったところ。
ここからはコレクターの蒐集品より、渥美のやきものを中心とした選り抜きの逸品が展示されている。

①「呑む壺」ー渥美のやきもので、場景を演出


最初のコーナーは、コレクターの場面展示「呑む壺(のむつぼ)」。
小さな円卓には、柄杓(ひしゃく)が掛けられた壺と、手前には片口碗(かたくちわん=器の片方に注ぎ口がついた器)に小皿がふたつ。
コーディネートしたコレクター代表・山崎さんによれば、「みんなで席を囲み、お酒を飲んでいるシーン」。まさに、そのまんまだと言う。

「本来なら、壺ではなく徳利(とっくり)でお酒を注ぐのが普通なのですが、今回は渥美の壺をつかいました。
柄杓で日本酒をすくって飲んでいるシーンをイメージしたのですがー。
以前、実際にやきものを使っての酒席をもうけた時は、ここにある酒盃(山杯)ではなく、もっと大きな山茶碗をつかいました。
片手でもって頂いたのですが、カッコ良くお酒を呑めましたよ(自分で言うのもなんですが、絵になる感じ)。
もっとも、当時はもっと大きな器でお酒を飲んでいたのでしょうが、ここでは普段づかいの酒器(しゅき)と仮定しての、見立てになります。」

ここで、すかさず増山さんが突っ込んだ。

「茶々を入れるようですが・・(壺を指して)ここの頸(くび)の部分、口(くち)から割れちゃってますよね。コレって、骨董品としては価値が下がるんじゃないですか?
さっき(展示資料の割れとか汚れのことを)、さんざん言ったクセに・・これは一体、何で割れたんでしょう?」

山崎さんには、こう言われるのは想定内と見えて、切り返しの言葉をスッと口にされた。
「たしかに、矛盾(むじゅん)しているとは思いますがー。いちおうコレは、骨壷(こつつぼ)に転用して使われたという事ですね。その際に口を解いたのではないでしようか。」

学術的な価値としては、保存状態がポイントになってくるが、ここはコレクターの目利きが物をいっている。

「僕らのような〝骨董好き〟の間では、こういう割れたのって、意外と人気だったりします。僕なんか、たまに花を入れたりもするし。
不思議なことに花映りも良いんですよ。」

カンペキに形がととのった器よりも寧(むし)ろ、何処かしら欠けてるくらいの方が、使いやすいという。

しかし、増山さんも黙ってはいない。
「いやいや。我々の立場から言うと、口の部分というのは、器の部位のなかでもっとも、時代感が表れるところ。ここの作りを見て、いつの年代かを決定する事もあるんですから。
ですから、私からすれば〝残念な壺〟なんですね。」

しかし、山崎さんはこれを「メチャいいですよ」と、譲らない。

「僕は、博物館にコレクションをお貸しして約2ヶ月になりますけどーそろそろ家に戻ってきて欲しいと思ってるところです。
それに皆さん、この壷に模様が描いてあるのが見えると思いますがーこれは〝蓮弁文(れんべんもん=ハスの花びらをかたどった模様)〟と名付けられています。ちょっと仏教的な要素があるんですね。
そういった意味でも、〝良い壺〟なんですよ。」

「だーけーど、頸(くび)が落ちてる。」
再び増山さんがケチを挟むが、そこに山崎さんが返り討ち?を浴びせる。
「それを言うなら、僕らにしてみれば、博物館の展示品で〝共直し(ともなおし)〟が入ってるやきものって、スゴく気持ち悪いんですけどね。
(展示品のひとつを示して)これなんか、リアルに修復されてますが、直した痕跡までキレイに見せる直し方。
“金継ぎ(きんつぎ)”という修復法もありますが、特に古窯にかんしては、共直しを嫌うコレクターは多くてー。
たとえば、僕がコレを手に入れたら真っ先に口を取ってしまいます。現状の割れた状態にもどすと思いますね。
この、割れて失くなった部分は、作ったわけですよね?」
これには、増山さんも慌てたようで、「一部は残したんですよ」と、なかば言い訳?するも、
「あっ、小競り合いになっちゃってスミマセン」と、我に返ったように苦笑した。

学芸員からすれば〝気になるところ〟でも、コレクターにとっては〝魅力ポイント〟なのだと納得したようである。
しかし、まだケチがあると見えて、こう切り出した。

「さきほど、われわれ考古学者〝実測〟ということを申しましたがー。
その実測のときに結構、ジャマなものがあるんですよ。
そのひとつが、実は〝釉薬(うわぐすり)〟です。
つい今しがた、釉薬が掛かったやきものをホメたばかりですが、コレがあんまり掛かり過ぎていると、ロクロを回したり、器の形を整えたときの手のあとが、かくれて見えなくなるわけです。
そうなると、当時のやきものの作り方、だとか職人技といったものを、上手く記録できないんですね。
だから、ときに釉薬が研究の妨げになる場合もある。その点、これ(年代別に比較した展示)はイイ。」
山崎さんは「たしかに〝線〟は見えてますよね」と、しつつもー釉薬がふんだんに使われた器を指し示した。
「この、テローンとした青い釉薬・・見てくださいよ。」
増山さんも、釉薬のキレイさは認めた。
それから、別の器を指して「ひとつだけ、形の違うものがありますが?」と、たずねた。

山崎さんによれば、その一品はコレクションではなく、田原市博物館の所蔵品から拝借した「片口碗(かたくちわん)」とのこと。

「この片口碗は、以外と内側に、キレイに釉薬が掛かってましてー。大きさも、お酒をつぐのに(実際には面倒かも)ほど良い感じ。
あとーお抹茶を点てたり、コーヒーを淹れたりするのにも合いそうです。」

「もし、展示品の中で頂けるものがあるとすれば、これがイイですね」
山崎さんの願望?が言い終わらぬうちに、「やらないですけど」と、間髪入れぬ増山さん。

「やはり、ここまでお話を聞いてますとー山崎さんの視点というのは〝使いやすさ〟が一番になってくるわけですね。」

ただ、コレクターにとってお眼鏡にかなうものを手に入れるのは、簡単ではないという。

「そもそもの話、中世に作られたこの辺(渥美)のやきもの、となるとー使える器の数はグッと減る。
だいたい僕らが骨董屋を回っててよく見かけるのが、ガサガサした器でしてー釉薬がキレイにほどこされたモノは本当に少ないんです。
そうした訳で、足で稼ぐと言いますかーいろんな所を回って見るしかない。そんな感じです。」

②「珍なるもの」ー鑑定が生んだ「珍品」

「呑む壺」のとなりにはこれまた、趣向を変えた場面が展開されていた。

古板の上には、(左から)フタつきの小壷(こつぼ=渥美蓋付小壺)に伏せた山茶碗、そしてーヨーロッパの遺跡を思わせる瓦(渥美唐草文軒平瓦)の三点が並んでいた。



山崎さんは、〝ただの珍しモノ自慢〟だと言うがー。
「これらのやきものは、今回の企画をとおして学芸員や学者、古美術蒐集家の方々とのご縁を頂き、いろんなお話をしていく中で見出だされたと言えます。
仮に僕ひとりで持っていたら、これほどの珍品であるとは解らなかったでしょう。
結果的に『コレ、すごいね』と、なったのがー
こちらの〝珍なるもの(場面タイトル)〟です。
もしかしたら博物館に取られるかもしれないと思いまして、事前に『僕は寄贈しません』と、明言しております。」
だが、増山さんには「そうでしたっけ(笑)?」と、聞かなかった事になっている。
〝珍なるもの〟。ここに紹介されたのは、学芸員の増山さんにとっても〝珍品中の珍品〟であるとか。
何しろ地元・渥美でも、過去に一度も見たことが無い、というのだ。
「小壺については渥美の焼き物のうちで最小。しかも、これの類似品が載った本まで展示するとは思いませんでした。
山茶碗にしても、高台の横に小さな鍔(つば=突起)がグルリと付いているのが、特徴的。
瓦に至っては、今でこそ当たり前のように家々の屋根に葺(ふ)かれていますが、この瓦は、渥美でもごく限られたエリアにしか遺(のこ)っていないでしょう。
しかも瓦塔(がとう)の正面部分のそれが残っているなんてー今では、ほぼ無いですね。
これは、ホントに珍しい物なので、実測図に書かせて頂いてます。
良い博物館資料になると思いますけどーあっ、山崎さん今、うなずきましたね?」
しかし、山崎さんは「寄贈はしませんよ」と、繰り返した。

③始まりの〝渥美の大壺〟は、何と○○○○だった?

右となりの、ショーケースの角に来たところで、増山さんは立ち止まった。
「こちらの大きな壺は、(すみっこに追いやられた感がありますが)何をかくそう、僕と山崎さんをつなげるきっかけとなった、キューピッド役なんですよ。」
赤面しちゃいますけどーと、付け加えながら。

「実はー(SNSで)山崎さんがこの壺を抱いたインスタ写真を見まして、『これは、とんでもない物をもってる人がおるぞ』と、驚いたのがー事のはじまりなんです。
しかも、地元の方だと言うではありませんか。
すぐに連絡を取ってもらい、後日初めてお会いしたのです。
これをきっかけに、渥美古窯の企画展の構想を練り始めることになりました。

大壺は見たところ、高さ70~80センチはありそうだ。
濃い灰色をしており、くびから上はラッパ型に口を空けている(突帯広口壺)。

ここで、増山さんは問いかけた。
「山崎さん、この壺をどこで手に入れたんですか?」
その答えに唖然としたのは、私だけではないだろう。

「これは京都の骨董屋で、入り口の『傘立て』に使われていたんですね。『アレェ?』と、思って『これは?』と訊ねたところ、『渥美の焼き物だ』って言うものですから。
それで〝豊橋に連れて帰って来ちゃった〟と、言うわけです。」

増山さんには、この事実がよほど衝撃的であったと見える。

「みなさん、信じられます?『傘立て』ですよ?私は、そのことを聞いてショックを受けました。
私が長年、追い求めてきた渥美のやきものが・・『骨董屋の傘立て』、だなんて。
もう、ショックが激しいですよ。

渥美の地に生まれ育った増山さんにとり、遠い昔に絶えて久しい渥美古窯はー考古学面はもちろん、渥美が誇るべき芸術作品として大切な存在であろう。
この事実を知った時の愕然とした様子が、目に浮かぶようだ。

しかしながら、骨董店側にも事情があるようでー山崎さんは次のように説明して、増山さんをなぐさめた。

「骨董店でそういう扱いになったのも、無理もないかな?と、思われる事情がありまして。
ひとつは、この壺の大きさ(高さ約70~80cm)です。コレクターからしたら、ちょっと大きすぎる。
これがもし、「呑む壺(場面展示)」の壺くらいのサイズ(高さ約30センチ)なら、花活けなどにも使いやすい。売れ筋として人気があるんですよ。
今どきのお家インテリアにも、会わせやすいですから。
そこへもって、これだけ大きい壺が室内にあるとーさすがにジャマ者扱いになるかもしれません。
使いにくいサイズであるのに加えて、釉薬もさほど掛かっていない。
おそらく人気がなかった為に、長らく置かれたままとなりー傘立てになったのでしょうね。」

ここまで骨董店の事情を述べた山崎さんだが、「ただ、あまりにも美しい壺でしたので、さすがに持って帰りました」と、いう。

「ポイントは、壺の肩の部分。ネックレスのような(つばの)装飾が、いいんです。
このサイズの長首で広い口をもった壺、というのはーおそらく当時の花瓶(かびん)だったのではと。
たとえば、お寺さんに行くと金属製の大きな花瓶があるかと思いますが、あのような役割をしていたのかもしれません。
ですから、人に見られるような華やかな場所での花活けみたいなものーかなり、特別に作られたのではと思います。」

気を取り直した(?)増山さんも、解説をそえた。
「この大壺は、装飾も含めてかなり良いものですし、渥美のやきものとしては比較的、初期に作られたんですね。
だからこそ、私はビックリしたんです。
こんなものが、今だに残っていたのだと。
ともあれ、コレも〝博物館資料〟としたらー非常にイイと思うんですけどね。」

考古学者にとっては〝喉から手がでる〟思いであろうが、それはコレクターにも同様である。
当然、山崎さんは「寄贈は、しません(笑)」と、ピシャリ。

だってーと、山崎さんは続けた。
「寄贈なんかしたら、それこそ〝壺を抱っこして写真〟なんて叶わないだろうし」
ー絶対、やらせませんねーと、増山さんがカブセる。
「それに、花活けだって・・」
ーそれも、やらせませんーと、増山さん(笑)。

博物館って、キビシイんだなと思ったけど・・これも致し方ないのだろう。

④やきものを遊ぶー「割れたもの達」

今度はコレクターのセンスが光る、ユニークな作品がお目見えした。
仮に、ほかの博物館でやきものを特集したとしてもーお目にかかることは、まず無いと言って良いだろう。
山崎さんの説明は、こうである。
「中々に苦心して作ったんですがーこちらは、大きな古いガラスの瓶に、陶片(とうへん=器のかけら)を上手く壺の形に組み合わせるように詰めた物です。
ふつうなら、金継ぎなどしてキチッと形を整えるんでしょうがーこれは僕のお遊びでして。」
陶片をたくさん持っていた為、何かに使えないものかと思案していたところ、たまたまこのガラス瓶が手に入ったという。
「そこで、〝コレはにココに入れてみよう〟と、いった具合に陶片を詰め合わせていったんです。そうしたら思いの外、イイ感じになりました。
で、もし飽きてきたらーまた変えればいいんだし、みたいな」
コレを作る際に、いちおう(陶片の部位を)口の部分に胴の部分といったパーツ別で、ガラス瓶の同じ部位に持っていくようにしたんですよ(分かる人にしか、分からないとは思いますが)。

実は、増山さんが山崎さんのもとを訪ねた時、このガラス壺を遠慮がちに出して来られたという。
ご本人によれば、「ふざけ過ぎかな」と、思ったそう。

しかし、博物館企画展の構想に新たな切り口を求めている学芸員、増山さんにしてみれば、これほど有り難いものは無い。

「これは、いいアイデアですね。是非とも展示しましょうよ」と、無理にお願いしたのだという。
「割れたものでも、もしかしたらーこういう遊び方があるのかもしれません。
みなさんも機会がありましたら、ガラスなどの割れたもので遊んでみてくださいね。」

⑤「続・割れたもの達」ー用の茶碗を愛でる


山茶碗に茶筅(ちゃせん=お茶を点てる道具)、火床(ひどこ)の大平鉢(おおひらばち)。
増山さんの説明では、「こちらは、今回の展示のビジュアルに採用したものです。その際、山茶碗にお抹茶が点てられた写真をチラシに作りました」と、いうことだ。

茶席をイメージした場面が演出されているが、山茶碗は、山崎さんご自身の〝普段使い〟である、とのこと。

「この茶碗は、僕がふだん、抹茶をいただくのに使っているものです。
けっこう、割れちゃってますけどーこれも金継ぎで直しています。
ただし、これは『呼続(よびつぎ)』と、いう修復方法になりましてー。
ほかの茶碗から割れたカケラを文字通り〝呼び集めて〟くっつけたというー苦心の末に出来上がったものです。
もちろん、僕が金継ぎをしたのではありませんがーこのように割れたものでも、キレイに修復した上で、実際に抹茶碗として使っているというわけです。
しかも、数多く焼かれてきた山茶碗にあって、重ね焼きの一番てっぺんにあったもの。
釉薬もキレイにのっていますから、使いやすい。」
山崎さんのお話しの後で、増山さんの〝山茶碗クイズ〟が始まった。
「さきほどお配りした〝山茶碗の見分けポイント〟というプリントを見ていただいてー。
チラシモデルの山茶碗は古いか、新しいかを当てて下さい。
プリントには、年代を示すいろんな特徴があるわけですがーさて、この山茶碗が作られた年代を、①から③までの3択のなかから、お答えください。(古い順に、①から③までの三択)」

①Ⅰ期 (古い :12世紀前期~中葉)
②Ⅱ期 (中間 :12世紀後葉~13世紀初め)
③Ⅲ期(新しい:13世紀)

挙手による答えが分かれたところで、増山さんか解答をあかした。
「答えは①の、『Ⅰ期』と呼ばれるものです。
茶碗のヨコ側を見ますと、胴の部分に何とも言えぬ、ふくらみが有るのが見えるかと思います。
あと、上から見てもらうと口の部分がよこに開いていますが、さらにもうひと手間の細工がほどこされています。
これは、『輪花(りんか)』と言いまして、縁(ふち)をちょっと押して花びらの形にする、という装飾の技法なんですよ。
釉薬もかかっており、古い時代の要素がつまった、非常に良い形をしたものと言えます。」

ここで増山さんは一言、「まあ、この山茶碗は金継ぎをされていますのでー博物館資料としては、要らないですけどね(笑)」。

⑥「続々・割れたもの達」ーコレクターの秘蔵っ子登場

ここで、場面が変わったのだがー。
増山さんが「山崎さん、これは何?」と、あらぬところを示したので、最初はわけが分からなかった。
見れば、2人とも白壁の上の方に視線をむけている。そちらに目をやると・・。

壁の一角には、長い古板に花入が掛かっており、ひとさしの枯れたハスが活けてある。

ここで再び、山崎さんが話を引き取った。
「みなさん、下を向いていらして、意外と上の方が無視されがちですがー。
こちらは、僕が持ってるうちでは、『最強の陶片』。
カケラ、と言えばそうですがーコレ、実は〝大きな壺の口〟なんですよね。
結構大きな壺の、割れた部分を木板に立て、いわゆる〝掛け花入れ〟に使っているものです。

陶片の後ろには〝落とし〟(水をいれる器)を使っていましたが、博物館では水モノが禁止。
なので、ここでは枯れ蓮(ハス)を挿しています。」
あと、造形も然ることながら、釉薬の流れる様子が〝狙って〟作られたかのようでー僕は非常に気に入ってますね。」

これには、さすがの増山さんも脱帽したようである。

「僕は、事前に「渥美陶片掛け花入」を山崎さんのところで見たのですがーその時は生花が活けられていました。
これには『ちょっと、やられたな』と、いう感じ。だから、〝負け〟を認めます。」

コレクター・山崎さんの目利きが冴える、〝渥美のやきものコレクション〟。
日常の中に渥美のやきものを取り入れている様子が伝わってきて、楽しいトークバトルとなった。

次回は、第3部に突入。
ここでも、コレクターの所蔵品はもちろん、陶芸家のコレクション及び作品をめぐる、トークバトルはまだまだ、続きます。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
          さやのもゆ