皆さんこんにちは。
ライフ・シフトコーチの山本サヤです。
今日は娘が不登校だった時のことを
ふと書きたくなりました。
今東京で1人暮らしをしている娘は、
中学3年の終わりから、高校1年の秋頃までは
ほぼ学校に行ってない、というか
行けなくなっていました。
先生から、あと1日でも休んだら
留年だ、と言われ、
泣きそうな気持になったことを思い出します。
不登校になった理由は、
ちょっと普通の不登校のお子さんとは違うことがあり
(娘に許可を得てないので、詳しくはメルマガに登録してくださった
方に、いつかお届けしようと思います)
私もどうしたらいいのかわからない状態で
必死でした。
その時私はずっと娘の将来を心配していました。
高校も行っていないと、娘の将来が心配、とか
このまま引きこもりの人生になったらかわいそう、とか
自分も人に何と言われるのか、心配とか。
何よりも、自分がいい母親になれていない自責の念で、
苦しんでいました。
そんな私を見る娘も、自責の念で苦しんでいたことでしょう。
小さい頃から、自分のやりたいことを
自由にやらせてきたつもりでしたが
こんなことになったのは、
赤ちゃんの時に、全くかわいがる余裕が無くて
ほったらかしにしていた
私が悪いのだと、
拒絶の傷が強い娘になったことを
自分のせいに思ったりして悩みました。
(魂の傷は、生まれる前からあるので
傷を活性化する親の元に生まれるのですけどね)
で、どうやったら娘が高校に行きはじめて、
大学も受験して、
合格したのかは
私が、娘を心配しないようになったからかもしれません。
娘は一人の人間として、
自分なりに考えているし、
大丈夫、娘のやりたいようにさせてあげよう、と
考えて、
毎日とりあえず着替えはして
普通に学校に行きたそうな娘を
必死で車で送っていきました。
そして本当はどうしたいのかを
本人に何度も聞いて確認しました。
そしたら、「普通の高校生になりたい」ということが
一番の願いだとわかったんです。
諦めずに行ける範囲で
私が送って行っているうちに
最初は先生について行ってもらいながら教室に行っていたのが
一人で行けるようになり、
そのうち遠足も行きたい、といい始め
修学旅行も行きました。
それでも3年間を通して、学校の勉強というシステムが
娘には嫌だったみたいで
宿題はほとんどやりませんでした。
先生方には、とても配慮をしていただき
2年、3年も休みがちでしたが、
今では
大学に通い、すぐにアルバイトも見つけ
あの頃がうそのようです。
とにかく、私は信じることしかしてなくて、
先に回ってリスク回避をすることも辞めました。
「信じる」ということを学んだ4年間でした。
だから娘はこれからも大丈夫だと
私は信頼していて
それは私自身に対する信頼の大きさと
リンクしているのがわかります。
これも人生の三角形
自分を信頼するのがまず最初にすることで、
そうすると、人を信頼出来て
人からも信頼されます。
娘は私をどんくさいと思いながらも
困った時には駆けつけてくれる人と、
信頼してくれているようで
めったに電話もしてきませんが
困った時だけは、すぐに連絡が来るので
焦ります
信じることが、子どもにエネルギーを与えるんだな、と
わかった経験でした。
それでは今日はこの辺で。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。