〜つぶやき〜


わたしが大好きなことは、他人の人が、わたしの通訳をしてくれること(笑)


というのは、わたしはコミュ障で言語化能力が壊滅的です


よく思うのは、わたしは一生懸命に説明するけど、他人さんはそれをいとも簡単に説明してしまう


しかもどんぴしゃの言葉を使って、起承転結でもってわかりやすく言ってくれるのだ


自分にはないその能力を味わったときの感動というのは


「人間てすごい面白い」


わたしの人生の中で、この現象がほとんどだった


人間関係を良くしたいのなら、自分にどんな病気や障害があろうと、他人に出すものは素敵なものじゃないと、他人は受け取ってくれない


言葉が出てこない中でも人とコミュニケーションを取ろうと頑張った結果(このコミュニケーションを取りたい、というのは、単純に「あなたと楽しみたい」という感情から来ている)、相手からもらったものは、相手の優しさや温かさや可愛らしさ


それに気づいてからは、自分の言語化が下手なのが気にならなくなった


そして、これが面白いところなのだけど、相手に対して「この人は心が優しくて寛大だからきっと受け入れてくれる♡」と、相手を信用しようとすればするほど、よけいに自分が説明が出来なくなることに気づいた(爆笑)


自分の言語化が下手くそなことなんかどうでも良くなって、この人の素敵なものを見れるー!!この人と楽しめるー!!わーーーい!!


とめちゃくちゃ嬉しくなるので、わたしの中の3歳児が大喜びで飛び跳ねているのがよくわかって、そっちが優先されるのだ


ドラゴンボールの孫悟空が「おめーーすげーーなーーー!!」と喜んでいるのと似ている(笑)



がしかし!!!


相手の心が閉じているときは、それができない(笑)


閉じているのか、そういう気分じゃないのか、そういう時期なのか年頃なのか(笑)はたまた全く違う世界の人なのかその人の性格なのかはわからないけど(人にはそれぞれの事情があるからね)


これは仕方がないことだということがわかった。


どんなに悔しがっても自分のせいにしようが相手のせいにしようが何のせいにしようが、分かり合えない、というのはあって、それがあるときはどうしようもないことなんだと、経験した。


どうしようもないことがある、と言うことを知ることも、良い意味の諦めを味わえて良いと思う


わたしがそういうときもあったし


自分がそういうときもあった経験と、相手のそれを見たとき、人は人、自分は自分、と割り切ることができるようになって、自分の精神が安定する  



…というようなことが、なんたがハッキリわかったような気がして、自分の源に戻った感覚がして心地が良かった


Sayaka