宮沢賢治著 『銀河鉄道の夜』


この作品名を知らない大人はいないと思います。
ですが、この作品を読んだことがあり、あらすじをしっかり覚えている人はどのくらいいるでしょうか。


私は正直、今回の出演が決まるまで、「銀河鉄道の夜」は読んだことがありませんでした。あらすじどころか、ジョバンニとカムパネルラが男の子だということも知りませんでした。(アウトーーーッ)



今回初めてこの作品に触れて、
そしてお客様から「やっぱりどうしても話が難しい」というお声もいただき、

もっともっとたくさんの人にこの作品の素晴らしさを伝えたいと思いました。


この職業である以上、舞台を通して伝えるべきなのでしょうが、現実的に考えて限度があるので、千秋楽を迎えた今、この場を借りて伝えたいと思います。

SO!ただの自己満です。


秋ならぬ夏の夜長に、
読んでいただけたら幸いです。








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ジョバンニは孤独な男の子でした。

カムパネルラという唯一心を許せる友人はいたものの、他のみんなからはいじめられ、
病気の母を看病するために放課後は遊ばず、活版所(今でいう印刷所)で必死に働いて暮らしていました。

みんなが行く星まつりにも連れて行ってもらえず、その夜ジョバンニは一人、丘へ登ってそのまま眠ってしまいます。




目が覚めるとそこはもう銀河鉄道の列車の中。
わけもわからず周囲を見回すと、あの大好きなカムパネルラの姿が。

その後ジョバンニとカムパネルラは、銀河鉄道の汽車の中で、学者・鳥捕り・青年と姉弟のグループと出会います。




学者は、

「このまま地球が何億年も続くとすれば、いずれ人々の生活は単一化され、誰もが同じ服を着て同じ物を食べるようになり、面白くなくなる。
そうすれば、今争いの原因となっている人種や民族の違いが、実は多様な命の個性として尊くなる」

と、【わたしとあなたに違いがあることは素晴らしいことなのだ】ということを教えてくれます。

(この時代にこのことに気付けてた宮沢賢治まじすごい)





鳥捕りはユニークな(今で言う"ぶっとんだ")キャラクターで、彼と接するうちにジョバンニは「彼が邪魔なような気」がしてしまいます。

不思議な人に対してそう思ってしまうこと(心の汚い部分)は人間誰にでもあることであり、【ジョバンニという存在は、誰の心の中にもある「普遍的な孤独」なのだ】ということを、鳥捕りを通して伝えています。

(つまりジョバンニは自分なのだ!どーん)





そして終盤、
小学生の姉弟と、その家庭教師だった大学生の青年と出会います。

彼らは親の仕事の都合でタイタニック号に乗船、そして沈没によって亡くなってしまい、この汽車に乗り込むことになったのです。


青年から、沈没の際、救命用ボートにこの姉弟だけでも乗せたかったが、今いる場所からボートまでのところにはまだ何人もの小さい子らがいて、とても自分たちだけ押しのける勇気がなく、すっかり覚悟してふたりを抱き、船の沈むのを待ったのだ、と聞きます。

そして青年は、その自分の判断を悔いてはいませんでした。
【他者の不幸の上に自らの幸福は決して成り立たない】と、心から信じていたのです。


(タイタニック号の話は何回聞いても泣いてしまうんじゃ!!!!!これが実話だなんて!!!)





そして、原作にはないのですが、今回の脚本では、この後オリジナルでこんなシーンがあります。



少年の自転車。


病気で余命数日の少年は、もうフラフラで起き上がるのもやっとなのに、「誕生日プレゼントでもらった自転車にまだ乗っていないから乗せてほしい」とお母さんに頼みます。

お母さんはそんなことはさせられないと言いますが、女医の勧めもあり、悩んだ挙句最後には、少年の意思を尊重することにします。


少年は喜んで自転車に跨り、
病院の庭を、誰にも助けてもらわないで、自力で一周したのです。

少年は勝ち誇ったような表情で帰ってきました。



それからたった数日後、少年は安らかな顔をして、お母さんと別れました。





このシーンの後の、汽車の燈台の灯りを管理している燈台守のセリフが、私はだいすきなのです。



「帰っていくんだな、
みんな帰っていくんだな、宇宙へね。

なにが幸せかわからないです。

本当にどんな辛いことでも、
それが正しい道を進む中での出来事なら、
峠の上り下りも、みんな本当の幸福に近づく、一足(ひとあし)ずつですから」





【なにが幸せかわからないです】

少年は寿命が縮まってもいいからと、
自転車に乗るという夢を叶えました。


一日でも長く生きることが幸せなのか

寿命を縮めてでも、生きた証をつかみとって、夢を叶えて死ぬことが幸せなのか


本当に、
なにが幸せかわからないです。




そしてジョバンニは、夜空に赤く輝くさそり座のアンタレスを見つけます。

カムパネルラは、お父さんから聞いたという、さそり座にまつわるこんな話をしてくれます。
このさそり座のアンタレスの話こそが、この作品におけるとても大事なことなのです。



〜〜

ある一匹のさそりがいて、虫やなんかを殺して食べて生きていました。

するとある時いたちに襲われて食べられそうになります。さそりは必死に逃げましたが、逃げるうちに井戸に落ちてしまいました。
井戸の中で溺れながら、さそりはこう願います。


「僕はいくつの命をとったかわからない。なのにも関わらず、今度は逆に自分が食べられそうになった時にはあんなに一生懸命逃げた。

なぜあの時僕はいたちにこの命をくれてやらなかったのだろう。そうすればあのいたちも、一日生き延びれただろうに。

神よ、どうか次は、まことのみんなの幸いのために、私の命をお使いください。」



するとそのさそりは、自分の体が真っ赤に燃えて天にあがり、星となって夜の闇を照らしているのを見たんだそうです。



〜〜


それが、さそり座のアンタレスなのです。


(わたしは次晴れた夜にアンタレスを見つけようものなら絶対に泣いてしまう)





この話を聞いたジョバンニは、なぜ、さっきまで命乞いをしていたはずのさそりが【みんなの本当の幸いのために(人のために)生きたい】と心を変えることができたのだろうかと考えます。

そして、さそりの心を変えた、「本当の本当」に出会いたいと思うようになります。




ジョバンニはカムパネルラに、

「本当の幸いって一体なんだろう」

「一緒にみんなの本当の幸いを探しに行こう」

と伝えます。


その時は返事をしてくれたカムパネルラでしたが、ふと窓の外を眺めてまた振り返ると、そこにカムパネルラの姿はありませんでした。








気がつくと、そこは丘の上。

星まつりの夜、寂しさのあまり丘でひとり眠ってしまっていたことをジョバンニは思い出します。


さそり座の赤い星が輝く中、街へ降りると、なんだか異様な雰囲気が流れています。

聞くと、カムパネルラが、溺れた友人を川へ飛び込んで助け、そのままカムパネルラだけが流されて行方不明だというのです。



カムパネルラのお父さんは冷静でした。
もう覚悟していたのでしょう。




お前は人の命を救い 消えていった

それはお前の命の生きた証だ

きっとお前はあのさそりの火のように
宇宙で輝き続けるだろう





カムパネルラは、
【人のために生きて】死んでいきました。


ジョバンニは銀河鉄道の旅を通して、【本当の幸いは一体なんだろう】という大きなテーマを抱えましたが、

カムパネルラは自分の命を持って、答えを教えてくれたのです。



人のために生きることが、
本当の幸いである  と。



ジョバンニはカムパネルラの死によって、
【さそりの心を変えた、本当の本当】にも出会えたのです。


(補足)

■命乞いをしていたさそり→井戸に落ちて死を覚悟→次は人のために生きたい、と願う

■何が本当の幸いか迷うジョバンニ→カムパネルラが人を救い亡くなる→人のために生きることが本当の幸いなのだと気づく









とまあ、これがわたしなりの「銀河鉄道の夜」の解釈でございます。


原作はそもそも言葉遣いが、語弊を恐れず言うならば、わかりづらいです。現代人にとっては。


今回の作品は、台本のセリフもほぼ原作のままだったので、わたしも理解して飲み込むのにとても時間がかかりました。


ですがその詩的な世界が、
宮沢賢治の世界観なのです。


このようにわたしのような一若者が現代語で解説するのも本当は良くないのかもしれません。(しかも要約)

ですが、世界観を大切にするあまり、この物語の素晴らしさに手が届きづらくなっているのではないかと思ってしまったのです。



まずはこの最大のテーマを理解する。

その上で原作を読むなり、数ヶ月後に発売になるであろう今回の作品のDVDを買って見るなり(←ココ重要)
していただいて、世界観を感じられたら、それでいいのではと、思うのです。






どっひゃー!偉そうやなあ自分!
(↑びっくりするくらい東京育ち)


ちょっとでも、ほんのちょっとでも、
この作品の素晴らしさが伝わっていたら、とても嬉しいです。それこそ、幸いです。






そしてちなみに、最近のわたしは、
宮沢賢治の詩を読んでいます。

マネージャーさんがわたしに、宮沢賢治のとある詩を贈ってくださったのです。



詩は、物語ではありません。

「銀河鉄道の夜」のような小説と違って、詩には宮沢賢治の人間臭さのようなものも滲みでていて、素敵なだけでなく、胸にずしんとくるのです。




実は高3まで本気で国語の先生になりたかったくらい(急に爆弾)、文学が好きなので、

もっともっとたくさんの文豪の作品に触れて、自分の人生を豊かにしていきたい、文学によって広がった世界はどんなに美しいだろうと、まだろくに触れてもないくせにニマニマする日々を送っています。





今回この作品に出演させていただけたことは、素晴らしい人生経験となった気がしています。


ご来場・ご声援くださった皆さま、
そしてここまで読んでくださった方、

本当にありがとうございました。











マルコメくん🍚




栗原沙也加