肝炎後最重症再生不良性貧血で骨髄移植したけど今はハワイ在住

肝炎後最重症再生不良性貧血で骨髄移植したけど今はハワイ在住

Blogger, Vlogger, Youtuber (ordinarylifeinhawaii)

2008年に骨髄移植をしました
元気な時の写真や動画をもっと残しておけば良かった
と思ったので今はYouTubeに平凡な生活の様子をUPしています
少しでも同病の方の励みになれば嬉しいです

There Is No Future, There Is No Past

Thank God This Moment's Not My Last



There's Only Us, There's Only This

Forget Regret, Or Life Is Yours To Miss

No Other Road, No Other Way

No Day But Todayきらきら -RENT-


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今日は通院日。

 
血液内科は、血液検査で再発の兆候がないかどうかの確認という感じです。
 
移植で生着を確認して以来、マルク(骨髄穿刺)はしていないのだけど
 
どうしよっかなーと考えて、とりあえずしなくてOKになりました。
 
 
白血病とかであればした方がいいみたい。
 
でも再生不良性貧血だから、血が作れなくなる病気だから
 
マルクしなくても末梢血で(いつもの血液検査で)
 
定期的に検査していればわかるからね。ということでした。
 
 
今年はいつもより太陽アレルギーの小さなポチポチが多発しているのですが
 
それ以外は特に重篤な症状もなく
 
今年は夏を満喫したくて
 
海やお祭り花火にプチ旅行
 
したい事がたくさんたくさん!!!
 
 
わたしはそのために骨髄移植を選んだから
 
ちゃんとそこそこのQOLでいける限り人生を楽しみたいし
 
この先もずっと再発するつもりはありません。
 
しないもん。
 
普通の人みたいな生活をずっと送って年をとりたい。
 
先生に(前回も聞かれたのにまた)働けてるか聞かれてしまいました。
 
私は移植から1年経ったら必ず社会復帰するって思ってて
 
実際1年経ってドクターOK出てからは
 
ずっとフルで働いていますよ、先生!
 
 
でも、それは私の決意だけでどうにかなることではないから
 
ただのラッキーだと思います。
 
 
2度目の人生、大切に生きたいと思っているのに
 
またいろんな波がやってきて、何度も心が折れて、
 
全てをゼロからやり直すのって、思っていたより大変で。
 
そんな自分も嫌だった。
 
 
限りがある人生なのに、私のペースは本当にゆっくりで。
 
もっともっと前に前に進みたいのに思うようにいかなくて。
 
でも、出来る事をしていくしかない。
 
悔いがないように人生を楽しみたい。
 
たくさんのハッピーを見つけて、たくさん笑いたい!
 
 
 
新しい先生に変わってはじめましての日。
 
この病院で3人目で、今回の先生もそんなに長く担当しないかもとのこと。
 
大学病院は先生の出入りが激しいですな。
 
 
 
 
今回の先生は前の先生よりもちゃんと話を聞いてくれて
 
しっかりしていそうな印象なので私としては良かった!
 
 
私はもう丸6年経っているので寛解だし
 
普通の人と同じ状態で普通に暮らしていけると思っていたのだけれど
 
先生に、10年以上経ってからGVHD(拒絶反応)が出る人もいるし
 
普通の人がかからないような感染症にかかったりするから
 
何年経っても油断出来ないんだよと。
 
言われてしまったー!
 
 
 
そっかぁー!と、普通気分がしぼんでちょっとしょんぼり。
 
そうなんだなぁ。。。
 
 
 
だからと言って、こうしたらGVHDが出ないという方法はないので
 
出ない事を祈りつつ感染に気を付けた規則正しい生活をしていくしかないのです。
 
 
太陽はGVHDを誘発するので、太陽はなるべく避けないとだけどね。
 
と言うわけで、いつも白い白いと言われるのが最近モヤモヤしている私ですが
 
これからも日焼けは出来ないので白くいるしかない。
 
 
 
 
もう移植7年生なのに、先生に社会復帰はしてるの?と聞かれました。
 
 移植から1年経ってすぐに働き出した事を話したら
 
とってもびっくりされました。
 
ということに私もちょっとびっくりしました。
 
 
 
本当に順調なんだねぇ…。って言われて
 
あぁこんな順調なのは少数派なのかなと思いました。
 
髪の毛も、私は1年でミディアムまでニョキニョキ伸びたけど
 
ずっと赤ちゃんみたいなパヤパヤで戻らなかったり
 
肌も変色してカサカサ剥けたりしたままの場合もよく聞きます。
 
私も最初はそうだったから、どんな感じかわかります。
 
今は言っても信じてもらえないかもしれないくらい、普通に戻ってくれた。
 
それって、普通じゃなくて。
 
すごい幸運なことで。
 
 
 
生きてる事が辛いとかいろいろ悩んだり泣いたりしても、
 
こうやって順調に回復して、まだ重篤なGVHDがこなくて
 
すぐに社会復帰して自立して暮らせていて
 
普通みたいな生活を続けてこれたこと、
 
いまも住む家があって、仕事があって、ちょいちょい寝込みながらも
 
スローペースで普通の生活が出来ていること、
 
この『普通』がどれだけ幸運な事なのかということに改めて気付けました。
 
ちゃんと感謝して生きていかないとだめだよね。
 
 
 
 
 
ちなみに私の場合、移植から1年以内に肌を中心に2-3度GVHDがでました。
 
今日先生に、肌に出るのは比較的重篤なんだよって言われた!
 
知らなかったー 笑
 
私はもともと肌が弱いからだと勝手に思ってました。
ちょっとあとが残って気にしてるんだけど、でもちょっとだもんね。
 
そして、これは薬疹が出た後からなんだけど
 
湯船に浸かると蕁麻疹がでたり、肌がムラに赤紫になったりする。
 
めっちゃかゆくなります。なんかザワザワする感じ。
 
夜とか、寝る時とかもザワザワかゆくなる時がたまにあります。
 
疲れていたり、寝不足だとなりやすいような気がする。
 
ドライアイもあるし、ほんと肌のザワザワは
 
今でも結構な頻度だけど、時間が経てばおさまるから
 
そういえば先生に伝えたことなかったのだー。
 
そういうGVHDなんだろうと勝手に納得してたけど
 
今さらだけど次回は念のため伝えておこうかな。
 
 
あとはずっと言ってる麻疹風疹の予防注射をしないと…。
 
1万ちょいするのでついつい延ばし延ばしに。。
 
夏が終わる前にはしようと思います!
 
 
 
 
 
今年もまたこの健康レベルをキープ出来ますように。
 
ほんとうに。いつもそう祈っています。
 
体力筋力もなかなか戻らないけど
 
でもでもでも。
 
今あるものに感謝!
 
 

星めぐりの歌

『あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて』





このうた、すき。





いま、24時間TVのドラマをみているんだけど

悪性リンパ腫って、血液の病気って意味で再生不良性貧血の仲間なのに

全然違うんだなぁ…と。改めて。


ドラマだからどこまでが本当なのかわからないけど、

骨髄移植するのにはまず寛解にならないといけないの???

そうなの???

もちろん前処置で抗がん剤は使うだろうけど、

寛解なってからってほんとにほんとなのかな!?

と1番のびっくりポイントです。

そして知人は転移しないようにリンパ全部取ったと言ってたけど、

実際それってどうやって取るんだろう??

わからないことだらけ。

私は腫瘍マーカーもしたことないから

実際どうやって測るのかも、数値の見方もわからない。


他人からみる再生不良性貧血も、そんな感じでまったくわからないものなんだろうなぁと。

なんだか改めて思いました。




私も、実は無菌室で遺書を書いておこうとした事があります。

内容も大体あんな感じでした。

家族や大切な人にありがとうが伝えたくて、

そしてとにかく仲良く、幸せな人生を送って欲しい。

って、おんなじだなぁ。

人は死にそうな時、そんな似たような事を思うのかな。



ただし、私のは遺書のくせにふざけた文になってしまって

真面目なのが書けなかったので密かに破棄しました。





生きてる人は、ちゃんと生きようと試みなければいけない。by ちょっとだけ風立ちぬ



生きてるなら、自分の人生を自分で諦めてはいけない。

何があっても。



親友に、

あんた見てると神も仏もないなと思う。

波乱万丈すぎるよね…と言われた 笑


いやそれは移植の時につくづく思ったわ!

と返しておいた。 笑




そして母親に、口は悪いけど行いは良いのになぜかねー

と笑われた…

そこ笑うとこじゃないよ!![みんな:01]






ぬるま湯に浸かったような人生は

たいした悲しみもないかわりに

たいした幸せも感じられないんだろうと思う。


あっぷだうんが激しいと、

小さな幸せも感じられるし感謝出来る。

だけど苦しい事も多いよね。




どっちがいんだろう。

きっとどっちもないものねだり。




どんな困難にぶつかっても、心折れてたくさん泣いてもう頑張れないと思っても

何度でも立ち上がって立ち向かえる自分でいたいな!





5年前の今日、弟に骨髄をもらいました。

わたしの二つめの誕生日。

早かったような、長かったような。


あの時を考えると、今こうしていられる事が夢のようです。

想像も出来なかったな、あの頃は。



今は今で悩みはあるけれど

でも、たくさんのものを失って全てをやり直してから5年。

振り返ればかなり前には進めたと思います。

良かった。

いま自分の持っているものに感謝します。


これで寛解と言えるのかな?

さらに5年後は、もっと前に進めたと言えるように

またやっていこうと思う。

ゆっくり、自分のペースで。


無菌室↓
photo:01




Memento Mori.




今日は、3月11日。

震災から2年。


釜石帰りたかったなぁ。。


photo:01




今でもまだ夢だったんじゃないかと思う。


東京では、もう震災は過去。


今日も、2年だなんてみんな頭になくて

いつもと同じ仕事。いつもと同じ日。



でも、当たり前だよね。

自分に関係ないから、考えない。忘れていく。気にしない。

当事者は忘れない。何年経っても心の傷は、やっぱり痛む。

ただカサブタが少しずつ出来ていくだけで。

それは当たり前のこと。

こういう節目に、まだ報道してもらえるだけでも感謝しなければ。


いつまでも立ち止まってはいられないけれど、

この日だけは、1年に1度あの日を想って

涙したっていいじゃないか。

私は毎年、この日はそう過ごそうと思っています。

もちろん忘れる日もないんだけれど、

普段意識しないようにしているのも事実。

だから、この日だけはずーんと沈んで故郷を、

いろんな人を想いながらメソメソしよう。



そして私にチカラがなくて、能力もなくて

なんの助けにもなれてないのもまた現実。

あー情けないなぁ私。

こうやってもがいて前に進めているんだろうかと

自問自答している間に何年も経って、

そして老いてまた自分は何を残せただろうと思うんだろうなぁ。

人の生の難しさですなぁ。



でも、どんな状況でも、毎日自分に出来る事をするしかないよね。

浮き沈みがあって当たり前。

思い通りにいかなくて当たり前。

壁にぶつかるのも、ココロ折れそうになるのも、

なかなか前に進めてなくても、当たり前。

それが人生ってもんだよね。

前に進んだと思えば叩かれ落とされまたバックして

でも前より半歩でも進めていたら自分を褒めていいんじゃないかな。

いつも100%じゃなくてもいい。

80でいい。疲れたら60でいい。一休みしてもいい。

そう思ったら、なんだから少し生きやすくなりました。



さぁ、また1年、故郷を想いながら都会で頑張ります。



いま、めずらしくドラマみてて、

"ゆりちかへ"というドラマなんだけど。

この人の話は前から知っていたんだけど、

子供がいて羨ましいなぁと思っていました。

自分の生きた証をこの世に遺して逝けるということが

何もなかった闘病中の私には羨ましかったな。



なんて思いつつ観ていたら、自分の闘病の時を思い出しました。

幸い私には普段激しい痛みはなかったんだけど。

でもCVカテが炎症を起こした時は

血管の中が痛くて痛過ぎて息出来なくて

冷や汗かいて震えたなぁとか。

その時は麻薬パッチのお世話にもなったなぁとか。

抗がん剤でハゲたなぁとか。



そして自分の命の終わりを自分で感じながらの

毎日の心細さだとか。

たくさん涙した日々。




こうやって生きて生活するのも大変で、辛くて心折れて。

そしてそんな時は、せっかく第二の人生をもらったのに

わたし何をしてるんだろうとか。

夢があって頑張って頑張ってやっと手が届いたと思ったら全てを失って。

諦めるしかなくて。とにかく1日1日を生きる事が目標になって。

心に身体がついてきてくれなくて。

この先をどうやって生きていったらいいんだろうとか。

あの時に終わった方がラクだったのかなとか。

不安に押しつぶされそうになって。

強く強くなりたいのに弱い私がいたり。




数年前に祖母が逝った時には心の中で叫ぶばかりで

声も出なかったなぁ。

そして泣きながら祖母を呼び続ける母をみて、

祖母は母のお母さんなんだなぁと当たり前の事を改めて思ったり。

祖父は私が3歳の時に他界したので

母は本当に1人ぼっちになったんだなぁと

その時思いました。

私たち家族はもちろんいるんだけど。

でも親を亡くすというのは、

何歳になっても大きな大きな事なんだと思った。



入院中は、小さな子を残して亡くなった人も

自分の子供を亡くした人もみた。



やっぱりわたし、どんなに辛いと思っても

いまのこの命を無駄にしちゃいけないなぁと。

たくさん心配をかけた人たちのために。

血をくれた弟のために。

あの時わたしのために心を痛めてくれた人のために。

自分の命を粗末には出来ないんだなぁわたし。


それって、ただそれだけで、すごく幸せなこと。



また困難の波にのみこまれそうになっても、なるべく楽しい思い出をたくさん増やしながら

その時がくるまで生きたい。



ドラマでは

"偉い人にならなくてもいいから、幸せな人になって下さい"

ってのが心に響きました。


この世を去ろうとする人が言い残す言葉は貴重です。

よく聞いて、意味をよく考えて、自分の人生に活かしたいものです。

photo:01





photo:01



カプちゃん。



実家に帰った時に、カプがいないのがさみしい。

お迎えしてくれないのも、窓からこっちストーカーしてないのも

星をみに外に出た時に邪魔してこないのも

全部悲しい。

全然慣れない。


まだカプのお家はそのままなのに

もうカプの匂いがしないのも悲しい。


でも首輪はそのままでくっさくてウケた。



現実を受け入れたくないのか

カプを拝むのがすごく嫌で出来なかった。


そんな自分が現実から逃げてるみたいで

嫌になった。


昔はそんなことなかったのに

私もずるい大人になった気がした。



カプの骨つぼを開けてカプの骨みたら

カプが食べてた牛骨みたいで笑った。

真っ白で綺麗だった。

ところどころ真っ黒でこれがガンなのかなと思ったら泣けた。

カプが1番辛い時にそばにいなかったわたし最低。

とんだ薄情者の偽善者だな。

すごく苦しかっただろうなと思うんだけど

辛過ぎて考えられなくなる自分が嫌。




カプの骨と、母がとって置いてくれたカプの毛を

少し持ち帰ってきた。


これで私も部屋に1人じゃないもん。

いつもそばにいるもん。





家族を失うって辛いなぁ。

カプはペットじゃなくて家族だった。

毎日大好きで大好きで大好きで、愛しくて愛しくて仕方ないくらいカプが好きだった。

人間と同じくらいの寿命があって、ずっと一緒に生きられたらいいのに。



カプちゃんはずーっと私の大切な子。my love♡



カプは世界に1匹だけ。


代わりは誰もなれないから。


しょーもないところも、健気なところも、

言うこと聞かない頑固なとこも、


野菜嫌いなとこも、散歩大好きなとこも、

チキンなところも、おバカなところも


全部全部がクソ愛しいぜ。




あけましておめでとうございます☆



年末年始はいつもの通り、田舎へ帰省していました。

仕事納めの翌日午前中に帰りましたw



いつもながら、田舎へ帰るといろんな事を考えさせられます。


震災からもう2年も経つというのに、町が思ったほど変わっていなくてビックリした。


まだ建物も壊しきっていないし、ガレキも積み上がったままだし、


ぐにゃぐにゃの欄干や電信柱やフェンスが、今もそのまま残っていたり。



あれ、この前からぜーんぜんすすんでないじゃん!っていうのが正直なところです。


ここからの復興はなかなか進まないように思う。






東京は、もう大震災は過去になっていて、何事もなかったような日々が通り過ぎ


被災地はいつまで”被災地”推しでいくわけ?的な空気もあるような気がする。


だけど、帰ってみれば当時のまま進めていない事も多いし、


人の心の傷もあまりにも大きすぎて癒えてなんかいないんだなぁと。



今までみんな、当時の体験を全然話さなかったし私も聞けなかった。


今回やっとポツリポツリ話してくれたけど、難しいなぁ。


思い出すのも辛いだろうし、涙も出ちゃうし、被災者でも


家が無事だった人と流された人は違うし、津波をみた人と水をかぶった人では違う。


他の人が助けを求めながら流されていくのに何もできなかった事や


周りの人が亡くなって、遺体に囲まれながら水につかって数センチの隙間で呼吸したり


救助されるまで何日も待ったり。


まだ雪の降り積もる北東北の3月の寒さは、東京とは違う。


どんなに寒かっただろう。



そして2年も経つのに あけましておめでとう と言っていいのかどうかわからない


って大勢の人が言ってた。


未だに行方不明の人もいれば、顔見知りまで考えるとどうなったのかわからない人も多すぎるし


みんながバラバラになってしまって年賀状も出しようがなかったり。



浜っ子なのにもう海を見たくないと内陸に引っ越した人も多いし


被災した建物をみるのも嫌だと泣いてしまう人もいるし


海の近くにも寄れないとか、悪夢を見て眠れないとか


仮設でも孤独死や自殺やら。。



本当に本当に、人々の心の傷は大きい。



なんか何も出来なくて申し訳ない気持ちでいっぱい。



消防の活動の記録という本が出まして、地元消防はもちろん


支援にきてくれた隊員たちの手記なんだけど、昨日読んでいて


涙なみだで目がはれて、そして今日は頭がいたい。



でも、忘れたくない。


逃げたくない。



嫌なこと、都合の悪いことに目をつぶって逃げだすような人間は、


きっと何をしたってだめだと思うから。


なにも学べない。強くなれない。優しくもなれない。




目を背けちゃいけないし、他人事にしてもいけない。


逃げちゃだめだし、忘れちゃいけない。





こっちでもいつ地震があるかわからないしちゃんと備えておこう。


きっとそのうち東京が被災当事者になる。



今からちゃんと考えておこう。














よし。頑張っぺし東北!