アグアスカリエンテス村から、マイクロバスでつづら折りのハイラムビンガム道を上っていく。
昔はバスに早く乗るのに、5時の始発のために午前2時から並んでいたそう 今は、入場時間枠の指定が出来たので、そんな行列も解消。これは9時のバスに乗る人の列。
私達のトレッキング+マチュピチュ観光は、また別枠で何時に行っても良いらしい。
ハイラムビンガムさんはアメリカの考古学者でエール大学で南米についても教えていた、マチュピチュ“発見”者。インディジョーンズのモデルになった人。ナショナルジオグラフィックでも特集されてた。
今日は曇り空で、幻想的。昨日の真っ青な晴天と、また違う表情のマチュピチュとワイナピチュ山
20年前はマチュピチュの中でキャンプができた。10年前は遺跡のどこにでも行けた。今は4コースが決められて、基本的に一方通行。ガイド付きの入場を推奨
観光庁の予約サイトを見てもさっぱり分からなかったけど、4コースのうち、定番の「ポストカード」ポイントや段々畑上部に行けるルートは限定されてて、警備員のチェックもある。昨日、遺跡上部の太陽の門から入って来たので、今日の我々のチケットは、遺跡の下方部分のみ。
修復された部分も多いけど、発見当時はこんなだったんです〜 という部分が残されてる
段々畑の天辺に見張り小屋
奥の3段の階段もインカの世界観 天上・地上・地下を表してる、多分
クスコのコリカンチャの様なすべすべ頑丈な塔。冬至の日に太陽の門から左の窓に、陽が差し込む様にできている。
窓の下の地面近くの出っ張りに影ができて、日時計?何か意味があったはず。
住居跡
窓の様な凹みは棚の役割で、金銀の置物等も飾られてたはず。おそらく、現地の人や盗賊が持ち去った物もあるけど、“発見”後に「研究用」と言ってアメリカ人が全部持っていって、返還交渉でペルーに戻って来たのは結局、織り物や焼き物だけだった…と。アメリカやイギリス等の博物館の充実した所蔵品の事情…
重要だった場所の入り口。二重の石組みと錠ができる出っ張りや穴
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