「さやちゃんのこと」のテーマはなかなか勧められずにいます。
なんせ、何年も昔の事・・・。
過去の事を備忘録として綴って、これからの事を書きたい!!
そう思って始めたブログでもあるし、
さやちゃんの高校卒業後の生活について、やっと動き出したので
書き進めていこう!
さやちゃんの小学校3~4年生は、私の大学3~4年生でもあります。
さやちゃんが小学生になった年から、私は放送大学で履修を始めました。
「脳」について基礎から知りたくなったからです。
さやちゃんが脳症になったのがきっかけですが、数々の本を読み漁り、
その奥深さにドはまりした感じでしょうか。
特に、オリバー・サックスや池谷裕二、ラマチャン・ドランの本は
夢中になって読みました。
さやちゃんは脳症によってかなりの部分がダメージを受けました。
何度か脳波の検査は受けましたが、「活動が乏しい」以外は伝えられませんでした。
脳症になった当時は、もっと具体的な説明を期待していました。
例えば、訓練次第では3歳レベルの知能なら獲得できる、とか。
まあ・・・今ならドクターが言わんとしていたことは分かります。
「分からない」です。
脳の可塑性というものは、時として想像を超えて回復する場合もあるので、
あまりハッキリ言いたくもなかったのでしょう。
脳は体の、いわば司令塔です。
脳のそれぞれの場所で指令が出されますが、ダメージを受けた場所では変な指令になってしまいます。
それが、後遺症の差ともいえます。
言語を司る言語野、運動を司る運動野、視覚を司る視覚野など細分化されているのが
大変興味深いところです。
さやちゃんは目が見えなくなりましたが、網膜や角膜がどうかなったわけではなく、
目で見た映像が視覚野で処理できない、といったところでしょうか。
でもね、不思議なんですが、どこかを見てニッコリ笑ったりするんですよね。
見えていないのに見えている?
見えていないものが見えている?
確認ができないので、もう、想像の領域ですが、
「何かが見えている」と思う。
その質問をしたくて大学で履修を始めたと言っても過言じゃありませんね~。
さやちゃんに当てはまるかは分からないのですが、シャルルボネ症候群、というのがあります。
幻視がとてもリアルに見える症状です。
実際には存在しない人間や動物、建物や風景など、それが消えるまで幻視かどうかも分からないほどハッキリしているそうです。
何らかの視力低下で、目からの情報が激減してしまうと、それを補おうと
「脳で見る」機能が高まるそうです。
手足を切断した人も、あるはずのない手足に痛みを感じることがありますが、
これは、脳が失った手足の感覚を補っているためで、視覚でも同じことが起きていると考えられているそうです。
当時は自分を納得させたくて、
「さやちゃんの見えている世界が楽しいものならそれで十分!!」
と思っていました。
まあ、今もかな?