先日、ピナ・バウシュの映画を 2本観てきました。
最近の私の関心事にぴったりで、のめりこむように見入ってしまいました。
家族と一緒に行きましたが、見ている最中に、「果たして連れてきてよかったのだろうか・・・今の私ははとてもマニアックな領域に入っている・・・」と思ってしまうほどでした。
家族としては、私らしいな、と思ってくれたようで、まぁホッとしました。
ところで、ピナの作品にどうしてこんなに見入ってしまったのか。
それは、意識を体の表現に持っていくというところにあるように思います。
パフォーマーがどのように意識しているか、ということが体を通して見えてしまう、そこに魅力を感じるのだと思うのです。
演じるのではなく、表現する。
これがとても心地よいのです。
しかしながら、これはとても高度なことでもあります。
いかに体が正直か、ということでもあります。
頭で作るとうまくいかない。
たぶんこういうことなのです。
そしてありがたいことに、私自身も今、このような経験をさせていただいています。
だから余計にこの世界に入り込んでしまうのかもしれません。
「表現」に正しいも間違えもない、ただ、嘘か真実かは存在するように思うのです。
最近の私の関心事にぴったりで、のめりこむように見入ってしまいました。
家族と一緒に行きましたが、見ている最中に、「果たして連れてきてよかったのだろうか・・・今の私ははとてもマニアックな領域に入っている・・・」と思ってしまうほどでした。
家族としては、私らしいな、と思ってくれたようで、まぁホッとしました。
ところで、ピナの作品にどうしてこんなに見入ってしまったのか。
それは、意識を体の表現に持っていくというところにあるように思います。
パフォーマーがどのように意識しているか、ということが体を通して見えてしまう、そこに魅力を感じるのだと思うのです。
演じるのではなく、表現する。
これがとても心地よいのです。
しかしながら、これはとても高度なことでもあります。
いかに体が正直か、ということでもあります。
頭で作るとうまくいかない。
たぶんこういうことなのです。
そしてありがたいことに、私自身も今、このような経験をさせていただいています。
だから余計にこの世界に入り込んでしまうのかもしれません。
「表現」に正しいも間違えもない、ただ、嘘か真実かは存在するように思うのです。