今まで、ヨルシカのうたが響くほど
本当に何とも言えない悲しみに包まれていた。

この叶わない何か
死んだ誰かに向けるものみたいな
届かないなにか。

これが何なのかずっと間違えていたようなのだ。


私は父親が嫌いだった。
大好きだから
一番憎かった。
私に興味がない関心がないあの男が。

自分の夢を叶えられないのを
私のせいにするあの男が。

自分を犠牲に生きてきたみたいな言い方をするあいつが、大っ嫌いだった。

こんなに大好きなのに
一度も届かないことが
たぶん悔しくて悲しくて
不貞腐れて行き場をなくして

だから私は付き合ってきた男の人に
父親を投影して
憎しみや悲しみをぶつけた。
誰でもよかったと思う。


だから相手のことが大嫌いだった。

おまえもどうせ、私のことなんか愛してない
犠牲になったと肩を落として
不幸せを語るんだろう。

許さない。
絶対復讐してやる。
私の人生賭けてお前のことを否定してやる。

悪魔みたいに
いやもはや悪霊みたいに
呪いついた私の気持ち。


悲しみを歌ってる時に
相手への愛などなく

私はいつも自分への歪んだ愛に酔っていた。



父親。
親戚になったとある女の子が
私と同じ境遇で
私よりもきつい父親のことを話してくれた。

そのとき、
この子は、父親をそれでも愛してたんだなと思った。

たぶん彼女も私の気持ちとなんかリンクして
話してくれたんだと思う。


前を向いて、
目の前の男性を愛すると決断した彼女と

後ろを向いて
包丁を握りしめて過去を憎んでる私と

それは違うわけだ。


死んだ相手を愛することが伝わらず
世の中の不条理や、憎しみに包まれている感覚と
同じような

一生伝わらない私の気持ち。


こんなふうに思うほど
私は父親が大好きだった。
大嫌いだった。
殺したいほどに。


自分のことを
言葉にしたら

なんかやっと腑に落ちて

私は初恋に縛られてきたわけでも
恋愛が嫌いだったわけでもなく

父親という男性性を否定して
ひとりで生きてやるという
意地だったことがわかった。

どこまでいっても自分の幸せを追求する
あの父親には
私は理解してもらおうとも思わないし
勝手に生きてほしいと思う

もう執着する必要もないし
愛してることを伝えるつもりもないし
やつのせいにして生きるのをやめる。
 
そのやつあたりに使われてきた男性たちに
本当に謝らなくては。




届かない悲しい歌を
どこかに伝えるために歌うことを
もうやめてもいい。