この人生の延長線上の未来が

これからもこのままずっと続くだけなら

さっさと死んでしまった方がいいな

と思った。


2月。


結構な絶望の中にいた。



主人公たらしめるもの


ブルーロックを読んだ。

23巻まで。

感動して震えて鼻水ぐずぐずしながら読んだ。



この本は、まじで哲学書だと思う。



私が以前、願った夢は

悲劇のヒロインモードで

自分に酔った人生だった。


でも、夢に向かう自分は

キラキラと輝いて

私はこの人生の夢を叶える主人公だった。



私を見つけてくれるマネージャーがいて

なんとなく講師に特別に褒められて

私は一目置かれた存在なんだって

自分で光を放っているんだ!って

そんな現実を見ながら。


夢に敗れたあと

敗北に打ちひしがれて

涙を流す悲劇を存分に味わった

私は悲劇のオフィーリア。



完全な自己陶酔の先に、

誰かとつながる未来はなくて

夢物語の終焉。


悲しいエンディングで終わるのも好きでしょ。



成功は、自分だけの物語に酔う人間には訪れない。

自と他の物語の交差地点にある。


(23巻引用)


ひとりの世界に固執して、

酔い潰れてる自分は

自意識過剰やろーの自慰行為みたいなもんで

1人でイッて沈んでろ

って(結構きつい)潔に言われて

ずきんと心に刺さりました。



あ、これ昔の私や。




それぞれが、それぞれの夢(目的、目標)を描いて、それに向かって挑戦、行動していくその道の先に、


flow(いわゆるゾーン的な)があって


他者にも他者のストーリー夢と挑戦があって

そこに交わる時

ビッグバン!が起きるわけだ。





私が、大失敗してたのは



主人公を、やめてた。

物語を描くのをやめてた。

これだ。



なんかどうせ、望んでもかなわねーし

現実受け入れて我慢するしかねーし

欲しいものじゃないけど

もうこれしかねーし

みたいな

諦めの人生の道筋がここにあって

私はこれを辿ってきたんだけど


最近その先もこれが続くことに気づいたら

あ、やめたいな。死んじゃおうかな。

って本気で思ってた自分がいるのだ。



それこそ、恋愛の物語なんて

高校生以降望むのを殆ど放棄して

来るもの拒まずみたいな

望みも放つこともなく

まいっかって付き合ってたけど


「その先の未来」を描かない私と

「結婚して、子供を産んで、家を建てて」の未来が描ける男との物語は、

平行線でいつまで経っても交差しないのだ


そうすると彼の方から

「寂しい、無力、俺にはできなかった」みたいな

そういうエネルギーを出して消えていく。


もちろん、私はそうやっていなくなってしまうことが想定されていたんだと思う。

どこまでいっても私は結婚する気がなかったし、子供を産む気もなかった。なんなら、付き合う気もなかった。


そうなのだ。



私は恋愛物語に興味がもうないのだ。


これは、自分でほんとうにわかる。

自分を主人公にして恋愛をする気が

もうなかったのだ。


そして、いまもない。




私は主人公を、放棄してた

この物語の主人公を辞めたかった


それが、退屈の一番の理由だった。




キラキラの夢を描いてた頃の自分の方がまだ美しい。

自慰と言われようと

まだその方が主人公だった。


夢叶えるために汗水垂らして努力する

ヒーローの話が好きなのもこれだしさ


大好きな男の子に恋をしてた頃の

片思い恋愛漫画の主人公気分は

そら楽しいよな。



私は、夢見ることを忘れていた


この世界という現実に酔うことも

少しは必要なんだと思う。

でも自分のものに固執するのではなく

自分だけを主人公として

他を脇役扱いするのではなく



他はそれぞれ、各々の物語の主人公であり

誰も脇役などではない

ハイキュー!!の選手のように

ブルーロックの選手のように

誰一人とて、脇役のどうでもいい人間などおらず


自分一人が神だと奢ってはいけない。



自分だけじゃなくて

他も尊重しながら生きていくことが

悲劇を解除していくコツだなと思った。