「これだ!」

っていうイメージングがあった。

常に、ここへ行くぞ!っていうキラキラした道が見えた。

そこに向かうだけだった。

決めて、向かうだけ。

それだけで叶った。

当たり前のことだった。



叶わなくなったのは、あのときから。

行きたい道を、諦めたこと。



信じた道




あの時から、自分に自信がなくなった。

価値がなくなった。

落ちたときの私立の学費を払ってもらえない子供なんだ。

私には、選べないんだ

信じてもらえないんだ。


そこから、私が選んだものに

キラキラがなくなった。



大学は意地でも受かってやるとおもった。

全国で40人しか入れないその学科に

学力なしの自己推薦で無名の公立高校から受かった。


これも奇跡なのに

自分のことを無能だと思ってた。

だから学校でも劣等感まみれ。


その大学からメガバンクに進めた

なのに、これまた恐ろしい劣等感。

半端ない自己否定で吃音悪化、

適応障害で、鬱病発症。

もうなにもかもモノクロ世界で

ご飯を食べることすら、

家に棲ましてもらうことすら

無価値感で死にたかった。


どうせ私は、私立の学費を払ってもらえない

大学の学費も出してもらえない

無能で、価値のない人間なので。


↑これまじやばい!!!!!



そこから崖をくだるように

転げ落ちていく。



この無価値感と劣等感と罪悪感

自分の首をしめていたのは


誰でもない自分だった。




おまえを幸せにしてたまるか!

許さない!




この憎悪、親に向けてると思ってたんだけど

まあ、向けてたんだけど

実は自分のことだったんだね。



そこから

自分を信じられなくなって

そうすると疑うわけ。

なにをやっても。



これって合ってる?

こっち進んでいい?

この方がいい?

これが正しい?


自分を信じてないから(もう信じられないから)

どうせ叶えてもらえないから(もう期待しないから)



自分の道がわからないわけ。



だから、あっち行ったりこっち行ったり

どっち?ねぇ合ってる?

こっちのサイン?

やっぱりこっち?


あ、これが正解?

みんなはどれにしてる?

どれを選ぶといい?

どれが喜ばれる?


もうね、自分基準じゃないわけ。

自己価値がないから、相手基準になるわけ。


それから捨て身。

どうでもいいのほんとは。

どうせ選べないんで私。

どっち選んでもわからないんで私。

間違ってるんで私。


そんなわけですべて妥協。

信じてないんで、どうでもいいんです。

どうせ諦めるんで、途中で捨てます。

私なんかにできないんで。

無理だったらさっさと死ぬんで。



そういう、捨て身人生。




全部、自分で諦めてきたんだよ。




ただ、過去に遡って

自分の選ぶ道を選んでた

あのときの自分に会ったらわかったよ!



私、手越祐也くんみたいな

自信満々の男の子好きだったのね

一生懸命な努力家で、キラキラ楽しそうに笑って

ちょっとビッグマウスなこと言っちゃう

自信家の男の子。

ありゃねー、私そっくりなんよなぁ。


見てるとすごく思う。にてる。

今日も久々にキラキラ歌ってる手越くん見てたら

思った。


私そういう、自信たっぷりある

男の子みたいな人間だったんよなぁ。



あれが捻くれて、折れて、砕かれて、しんだねぇ。


萎れたなぁ。



ただ、あのときの自分の気持ち

持ってきた。

そしたら、すごくエネルギー満ち溢れた。


私が選んだモノが正解!って言える

自信持って、選べる!



そういうわけで


仕事や恋愛や、いろんな選択を

私はいつも

「私この程度なんで」というレベルで考えて

妥協してたことを認める。



その、妥協に、むかついてたことも。



そりゃむかつくよ。

だって、なんでそんな無価値感!

許せないよ!

なんでもっと大切にしないの?

お金出してよ!

お前何様だよふざけんなよ!

ってなっちゃうよ。仕方ないよ。



これから、ちゃんと選べばいい。



今はとりあえず、

選んでるものは

私の本心で決めたものじゃないから

置いておいて

決まるまで選べばいい



この

「これがいい!」って選ぶ感覚


あれ、幕張メッセのときビビってきたな。

あの感覚、

絶対これ!って思うやつ



あの感覚でえらんだとき

自分のことをもう一度

信じることを思い出しそう。