この少し何日か経ってから
病院から電話で危ない状態と連絡があり
駆けつけてる最中に
じいちゃんは1人で旅立ちました。
なんでも1人でこなしてきたじいちゃん。
旅立つ時も1人でって、、、
もう少し待ってほしかったよ。
お通夜もお葬式が終わっても実感ないな。
私が病気になり痛みも辛くて
病院で泣いて過ごしてるとき
もう死にたい辛くてムリ!殺して!って
ママと電話で話してるのを聞いてて
死にたいなんてママに言うたらあかん。
自分の娘にそんなん言われたら
傷付くし辛い。泣いてるママみると
じいちゃんも辛いって
言われたのを思い出します。
治療が終わっても出血を繰り返し
急に意識失うこともあって
仕事で家に誰もいなくなるときは
じいちゃんの家にいさせてもらってて
さやのことよく見ててとママの言葉を守り
お昼ご飯には卵焼きや餃子を作ってくれて
少し薬局に買い物行くけど
目を離すわけにはいかないからも
車椅子乗れるか?と聞いてきて
じいちゃんが押していくからと
孫がじいちゃんに車椅子を
押してもらう日が来てしまいました。笑
そんな天然なじいちゃんでした。
病気前は私も仕事や友達と遊びで
自分ことばかりで
近くに住んでいるのに
あまり会いにいくことがなかったです。
たまにお好み焼きや茶碗蒸し作ったからと
じいちゃんから電話があり
取りに行ったりする程度で、、
孫4人いて姉含め従兄弟2人とも
医療関係の仕事です。
医療の道に進めば人の役に立てるし
職探しにも苦労しないと言われてきました。
大学生時代も医療の道に進まなかった
私は確かに就職活動苦戦していて
私は孫の中でも1番出来が悪く
あまり好かれていなかったんです。
医療の道に進もうとは全く思わず
自分がしたいことがしたい
医療だけが人の役に立ってるなんて事ない。
憧れだったブライダル関係での
内定が出るまでずっと
医療に進まんから苦労するんだと
言われてきたのでこの頃から
あまりじいちゃんの家には行かないように
していたんです。
嫌われてるからあまり関わらないように
していたのに、、、
痛がってる私をみて心配し
高齢なのに私のご飯作ったりしてくれて
本当にありがとうとしか言えない。
今はお空でおばあちゃんと再開し
仲良く話しながらお好み焼きとか
作ってんのかな。