今年に入り足を滑らせ
大腿骨骨折した祖父👴
91歳の元気なじいちゃん!
そんなじいちゃんが骨折し
手術でしばらく入院に。
おばあちゃんは11年前に亡くなってから
なんでも1人でするじいちゃん👴
洗濯も買い物も料理も。
退院してからもやはり足が痛いようで
あんなにさっさっさっ!歩いてた
自転車も爆走🚲してた
じいちゃんが足が曲げまられず
杖ついて少し歩けるかくらいに。
元々、膀胱癌だったけど進行も遅く
薬でなんとかなる程で
元気だけが自慢のじいちゃんなのに。
だんだん外出も少なくなって
体調が悪くなり緊急入院。
初めて行く病院で詳しい検査したところ
肺がんがみつかった。
それでもとてもとても小さいもの。
ママは画像見せてもらった際に
私の膣癌の画像などもみてきたので
明らかに私の癌のが大きかったので
じいちゃんのはとても小さいし
高齢っていうこともあり進行も遅いし
年齢を考えると無治療で様子見て
何かあればその都度対処するとのこと。
肺がんって言葉聞いただけで
私は少し怖かったけど、、。
痛みもでてないみたいなのでそこは安心。
病気の告知もじいちゃんにもして
本人も納得していた。
でも日に日にご飯は食べれずいて
しんどそうで
病院のご飯はまずいからと
コロッケとエビの天ぷら買って
持ってきてなど電話はくるし
持って行ったご飯は食べれてるし
しばらくしたら帰ってくると思ってたけど
じいちゃんは帰ってきても家に1人だし
足の痛みや肺がんのこともあって
緩和ケア病棟に移ることになり
家にはもう帰って来ないと聞かさせました。
それでもよく電話もかけてきては
暇だとかあれ買ってきてなど
電話はたくさんしてて
少ししたら痰が絡んで何言ってるか
聞き取れないほどに、、
息がしにくいようで酸素つけたり
それでもピースしたり写真撮らせてくれてた。

この少し何日か経ってから

病院から電話で危ない状態と連絡があり

駆けつけてる最中に

じいちゃんは1人で旅立ちました。

なんでも1人でこなしてきたじいちゃん。

旅立つ時も1人でって、、、

もう少し待ってほしかったよ。

お通夜もお葬式が終わっても実感ないな。


私が病気になり痛みも辛くて

病院で泣いて過ごしてるとき

もう死にたい辛くてムリ!殺して!って

ママと電話で話してるのを聞いてて

死にたいなんてママに言うたらあかん。

自分の娘にそんなん言われたら

傷付くし辛い。泣いてるママみると

じいちゃんも辛いって

言われたのを思い出します。

治療が終わっても出血を繰り返し

急に意識失うこともあって

仕事で家に誰もいなくなるときは

じいちゃんの家にいさせてもらってて

さやのことよく見ててとママの言葉を守り

お昼ご飯には卵焼きや餃子を作ってくれて

少し薬局に買い物行くけど

目を離すわけにはいかないからも

車椅子乗れるか?と聞いてきて

じいちゃんが押していくからと

孫がじいちゃんに車椅子を

押してもらう日が来てしまいました。笑

そんな天然なじいちゃんでした。

病気前は私も仕事や友達と遊びで

自分ことばかりで

近くに住んでいるのに

あまり会いにいくことがなかったです。

たまにお好み焼きや茶碗蒸し作ったからと

じいちゃんから電話があり

取りに行ったりする程度で、、

孫4人いて姉含め従兄弟2人とも

医療関係の仕事です。

医療の道に進めば人の役に立てるし

職探しにも苦労しないと言われてきました。

大学生時代も医療の道に進まなかった

私は確かに就職活動苦戦していて

私は孫の中でも1番出来が悪く

あまり好かれていなかったんです。

医療の道に進もうとは全く思わず

自分がしたいことがしたい

医療だけが人の役に立ってるなんて事ない。

憧れだったブライダル関係での

内定が出るまでずっと

医療に進まんから苦労するんだと

言われてきたのでこの頃から

あまりじいちゃんの家には行かないように

していたんです。

嫌われてるからあまり関わらないように

していたのに、、、

痛がってる私をみて心配し

高齢なのに私のご飯作ったりしてくれて

本当にありがとうとしか言えない。


今はお空でおばあちゃんと再開し

仲良く話しながらお好み焼きとか

作ってんのかな。