3.11 東北地方に大打撃を与えた東北地方太平洋沖地震。


日がたつごとにメディアからの報道と平行して、
webやインターネットからさまざまな情報が発信されている。



現地にいる被災者からの声と、『…らしいよ』と口コミによって広がる情報とは食い違いがとても多く、私のように被災地にいない者にはどちらがホントで、どのような救済支援が一番いま求められているのか分かりにくい。


私には宮城に友達が何人かいて、
そのうちの3人と震災の数日後から連絡が取れるようになった。


彼らがいま無事でいることも、
彼らと連絡がとれている事も、
心から感謝。
(☆これが一つ目の奇跡。)



震災から時間が経つごとに、
自分の手で支援できる事がないかずっと探していたの。


だけど、ボランティア募集の記事は全然見つけられなくて、
報道でも個人のボランティアの現地入りは控えて下さいという記事が多かった。




支援物資をSAYの事務所で集めることや、
義援金を募ることも考えたけれど、
GACKTさんのShow your heartだったり、
赤十字の募金窓口、
DS455やDJ☆GOさんのブログにも支援物資の受付情報がたくさん書かれていたから、
いま私の名義で新たな窓口を開く事は得策とは思えなかった。

それよりも、自分という一人の人間の動力を生かして何か出来ないか考えていた。




UKEYという宮城のDJやMCのサポートをしてる子と連絡を取るうちに、
支援物資の行き渡るところと、
そうでないところに大きな差が出ている事が分かった。


例えば宮城県の場合、仙台市には比較的多く物資が入っているけれど、
被災地に燃料が無いことによってその物資を他の場所に配給するのが難しくなっていた。



仙台市に住む1人の友達が言った。
『私のところにはまだ食べ物があるから、仙台より離れてて物資が足りてないとこに送ってあげて。』って。

スーパーに雪が降る中3時間も並んで、
『10品目に限る』っていう制限のもと買い物をしてる人がだよ?

その優しさに、胸が苦しくなる。



毎日のように彼らと連絡を取るうちに、どこのエリアには比較的物が入ってて、
どこには足りないのかが分かってきた。

~17日の夜の時点で物資の足りていない場所~
亘理郡
多賀城市
石巻市
気仙沼市



UKEYが住む場所が白石市で亘理郡に近い場所だったから、
今回の行き先は『亘理郡』に決めた。
彼に現地の情報を調べてもらって避難所や配給場所に連絡を取ってもらった。



東京を拠点に物資搬送の準備をするには、
都内は余りに『買い占め』という行為による食料や燃料不足が深刻で難しかった。


そこで、地元長野に連絡を取って状況を聞いた。



したらば…!!!!
『20リットル制限、ハイオクのみ』というガソリンスタンドばかりの松本で…






『売るほどあるゼ◎』っておぃちゃんがニヤついてるガソリンスタンドを、
Asian2のTATSUが見つけてたテヘッ
(☆これが2つ目の奇跡。)





『TATSU、あたしの友達宮城にいるから一緒に物資送りに行きや。』って言ったら、
『いいよ。俺も行きたかっただよ。』って即答した。
(◎これはうちらの常識。)





ニヤついてるおじちゃんのスタンドも、
いつ燃料が完売するか分からなかったから、
早急に物資輸送に向けて動く必要があった。



まず、TATSUが電話を切ったあと、
ものの3時間で2tトラックを調達した。


そして、『長ブロ』という長野ブログのページを使って、
『緊急!!食料と物資を集めて、明日ここまで持って来てください!!』と告知をした。




その間私はずっとUKEYと連絡を取りつつ、現地での受け入れ態勢を整えてもらったり、
道路状況を調べたり、
報道では出回ってないちょっとヤバそうなwwとこから来てる情報を聞きにいったり、
ファギ子の預け場所を探したりしてた。



物資輸送において、一番の課題は『燃料』そしてちょっと気をつけるべきは『放射能』だった。
まず燃料は往復分を自分たちで用意してトラックに積む必要がある。
被災地での調達は絶対無理。


きらきらココめっちゃ重要!!
万が一被災地で燃料が調達できるとしても、それは被災者の人たちが使う燃料。
ボランティアの人間は被災地の燃料を使ってはいけない。
食事も同じ。
被災地で配給されているご飯をボランティアが食べる事は許されない。




高速道路は色んな場所で規制がかけらていて一般車両が通行できないようになっている。

自衛隊や、
国が行う物資輸送、
電力会社の作業者や、
石油やガソリンの輸送をスムーズにするための規制。

だから、最初は行けるとこまで高速で行って途中から下道で行く覚悟をしてた。



したらば…!!!




同じマンションの仲良しさんから『物資運搬の許可証をもらうと道路が崩壊してない限り高速走れるみたいだよ。』って教えてもらった♥akn♥
(☆これは3つ目の奇跡。)



翌日18日の朝、ファギ子にこれでもかってハグをして、東京を出て松本に向かった。
計画停電のことが心配だったから電車じゃなくてバスを選んだ。
中央高速は何事も無いかのように順調ですんなり松本に着いた。



ついてすぐ、近くの交番に行ってどうやったら通行許可証をもらえるか聞いた。

したらば…
『いやぁ~今は現地には一般人は入れねぇよ?ましてや女の子じゃ…ねぇ。』
って警察官の服着たおぃちゃん。


私、ナメられてる。。




『現地に○○っていう人がいて、その人と毎日連絡を取り合っているんです。救援物資が届いている場所とそうでない場所があって、届いていないところの人に食料を届けたいんです。現地での受け取り体制も既に整えてもらっています。』と神様にすがるような気持ちで言った。


そしたら、しぶしぶおじちゃんは古びた受話器をあげて本署(松本警察署)に連絡。
数分後私に変われと言って受話器を差し出した。


『個人の方ですか?』と男性の声。
『そうです。』と私。
『個人の方だと許可証を発行できないだよ。会社単位の登録で、社判(会社のハンコ)と輸送用の車の車検登録虜の写しがありゃ出来るけんども…あと、ワゴンみたいな乗用車じゃ無理だからね。』と男性。
『会社名義だったらいいんですね?では、会社の社判持って改めてそちらにお伺いします。』
と、何の根拠もなく言って電話を切った。




さぁ、社判を探さなきゃ!!!ww





うちの事務所とか、
仲良しの東京の社長さんたちも、
今日は社判を持って来れないから却下。



社判も、現地調達きらきら




松本の仲間たちは、

みんな土方を頑張ってたり、
農家だったり、
『会社』なんて形にしないままLIVE会場やスタジオを経営してる人が多くて、
なかなか社判を手に入れられなかった。


そして、なんとか上司に頼んでもらえないかなと祈る思いで電話した建築コンサルティング勤務のヨウちゃん。

松本の仲間の中で、
唯一、スーツを着る男。


『社判貸してもらいたいんだけど、会社に頼めないかや?』って言ったら、
『俺のでいいだ?まだ会社始まってないけど…』ってヨウちゃん。


…??



SAY『ヨウちゃん会社あるの?』
ヨウ『うん。申請はしてあって社判もあるけど、株式でも有限でも何でもねぇよ?』
SAY『大丈夫なはず。社判貸してくれる?』
ヨウ『いいよ。』
(☆これは4つ目の奇跡と2つ目のうちらの常識)



駅前に向かってるはずのTATSUがすごく遅いから、
試しに、エスパっていうスーパーに行った。

長野の物資を集めてくれてる友達からも、
『カップ麺も水も一人何個って決められてて、思うように集められない!!』って聞いてたから、
エスパもあんまし期待してなかった。



したらば…!!!!



カップ麺コーナーでおばちゃんが25箱くらいの
赤いきつねと緑のたぬきの段ボール箱をのせて棚卸ししようとしてた。



『おばちゃん!!それ箱ごと売ってくんない??』って言ったら
『いいよ。何箱?』って。
『全部だYOアップアップアップ
(☆これは5つ目の奇跡。)


サービスカウンターにコンテナごと運ばれていくカップ麺。

欲張りな私は缶詰コーナーに走ってイワシやら鶏肉やらの缶詰を200個近く買いあさり、
食パンコーナーをえげつなく半分以上空にして、
サービスカウンターへcrmlチョキ



全部の会計をしてみて驚愕した。
¥43,458




山積みになる食料を前に10万そこそこ覚悟してたからビックリした。

たった¥43,458で何日分の命が買えた?





迎えにきたTATSUと一緒に荷物全部詰め込んで、回収現場に行った。
だいぶ集まってはいるけど、まだまだ全然足りない!!!



借りた2tトラックの荷台に隙間を作っていくつもりなどミクロも無かった。
何が何でも全部食べ物で埋めてやる!!って思ってた。
電波クソ悪いiPhone握りしめて呼びかけを続けた。



ここは長野だから多くの人が米をまとめて持ってる。
モミの状態の米も精米して被災地ですぐ使えるようにした。
photo:01





TATSUんちで穫れた、めちゃくちゃ美味しい信州リンゴもリンゴ
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ヨウちゃんと待ち合わせして松本警察本署に行った。
高校の時から仲良しのヨウちゃんが初めて“社長さん”に見えた◎
photo:03





緊急通行車両許可証ゲットん。
このキラキラステッカーの持つパワーは無限大だっ!!!
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夕方になるにつれ、あちらこちらからみんなが物資を持ってきてくれた。
2tトラックはコンパネがしなってパツパツな程、支援物資で溢れた。
呼びかけをしてから、トラックの出発までたった24時間。
全員が心で祈って、行動を起こした。






急遽集まってくれたボランティアのみんなが、
物資を受け取り、
仕分けて、
トラックに詰め込んでくれた。
暖房器具が一つもない倉庫で、長い時間ホントにありがとう。
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TATSUの友達の良和さんが『何でも食べたい物食べさせてやる』って言うから、
『オムライス!!』って言ったドライブ
お腹ぺこぺこ過ぎて、また写真取るのを忘れたよww


めっちゃ美味しくて、
どんだけ!?ってくらいボリュームがあって、
最強だった☆




さぁ!!!
18日の23時頃松本出発。
宮城へ!!


運転席にはTATSU。
助手席にあたし。
震災の起きた日から仕事がじゃんじゃんバラしになって、
時間を持て余したボーカリストwwsei



みんなの集めてくれた物資で荷台はパツパツ。
自分たちの荷物は足下にしか入らない。
途中からおしりがずっとシビれてたena
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帰りの燃料を確実に確保するために、
給油できるGSにはなるべく寄る。
ここは黒崎SA。
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1stアルバムの新潟キャンペーンの時に寄ったことがあるから覚えてた。
その時は草むらに生えてたつくし見つけてテンションかち上がってたな↑↑




暗いうちはちょっと怖かった。
新潟あたりは雪も降ってて、
パンパンの荷台にトラックも揺れる。
道の脇には8mくらいの雪の壁があったりするし、
橋の上で横風であおられたりすると冷やっとする。



だけど、夜明けがきたらもう大丈夫。
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途中のSAで警察はやはり規制をかけていた。
一度、高速の料金所まで下ろされる。
でも、うちらにはキラキラ許可証があるからネ◎
『ご苦労様です!!』と言われ、また高速にUターンが許された。


福島に入ってから高速道路を通る車がいきなり減った。
たまに追い越してく燃料タンカーと、自衛隊の車両くらい。
上りを走る電力会社や貨物トラックの数に対して、
下りは圧倒的に少なかった。


やはり、福島原発の影響だろうか…



まぁ、ぶっ飛ばせるからいいけれど◎
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原子力放射能に関して、いま色んな噂がある中、
政府がこのエリアは危険ではありませんという情報を私は信じている。


被爆を気にして東京から南下したり、
海外に行く友達もいたし、
一緒に行くか?って事務所の社長にも誘われた。

だけど、あたしには横須賀におばあちゃんもいるし、
東京から横須賀は原発からの距離もほとんど変わらんし、
気持ち的に行けなかった。


東京のように全く危険ではありません。
と言われてるエリアに住む人間だからこそ思う事。



逃げたところでどうなるの?


東京は日本の中枢で、
政府の機関が全てここにある。
そこが破壊されるという事は、
日本が破壊されるということになる。


それに、
私の事務所も、
レコードレーベルも、
スタジオも、
feat.のアーティストも、
みな東京、横浜に拠点を置いている。

もしそれらが破壊されたら、
私の音楽をみんなに届ける事は出来なくなるんだよ。



私だけ歌えても、みんなに届かなかったら意味が無いんだよ?


それにね、『今日は一日中、気持ちのいい青空が広がるでしょう。』
とNEWSで言っている日に、私はわざわざ傘を持って出かけないし四つ葉








松本を出て約8時間、UKEYと待ち合わせの白石市に着いた。
すごく、すごく奇麗な場所だ。
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年末の福島LIVE以来のUKEYは相変わらずのニコニコ顔で迎えてくれた。
その元気な姿がホントに嬉しかった。

彼の案内で亘理郡まで連れてってもらった。
被災の被害から免れた亘理駅。
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町を見ると、地震の揺れによる被害はあまり見受けられなかった。
建物の壁がはがれ落ちていたり、屋根瓦が落ちていたりはするけれど、
外観はきれいに保たれていた。



最初に行った山元町役場。
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山元町役場
〒989-2292
宮城県亘理郡山元町浅生原字作田山32


初めてコンパネを外した物資◎
(こんな風に燃料タンクを積むのは危険だから絶対に止めましょうww)
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ここでは『米だけください。』と言われた。
比較的物資が集まっている場所のようだった。
トラックの荷台の手前部分においてある米を100kg置いていった。
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次に行った亘理役場では、『全部下さい。』と言われた。

TATSUがトラックパンパンの物資を一つ一つおろしていく。
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亘理役場
〒989-2393
宮城県亘理郡亘理町字小路7番地4


地元の人にうちらの『想い』が届いた瞬間。
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みんなからのLOVEが亘理郡に無事到着した。
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みんながうちらに託してくれた食料は亘理小学校に避難している人たちのご飯になる。
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亘理小学校
〒989-2351
宮城県亘理郡亘理町字下小路22-2


大きな体育館に約300名くらいの人が集団で生活してる。
家族や親戚ごとに集まってブルーシートを共有してる。
冷たい体育館の床の上で力強く支えあう姿に、
『悲しんでる暇など無い』という現実を見た。
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たくさんの人が悲しみと不安を抱えながら、
懸命に今を生きていた。



はぐれた家族や友人を探す伝言板。
貼り場がないくらい、びっしり伝言で埋められている。
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たくさんの人が連絡手段を失って困っていた。




こっちはこの亘理小学校に避難されている人の名簿。
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居住地によって、避難場所は異なる。
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家族とはぐれた人が一日かけて色んな避難場所に家族を捜しに回っている。
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現在、宮城県内に設置されている避難所は1100箇所を超える。




自衛隊の人がお米を持って避難所に来ていた。
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すでに炊いたご飯がボックスの中に入っている。
自衛隊は『命を守るプロ』だ。
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避難所の中には小さい子供が遊べるようなスペースや、
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本や雑誌も置いてあった。
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だけど、その周りには誰もいなかった。
被災者の方達の心のケア、これからすごく大事になる。



外にある仮設トイレ。
男子専用。
ペーパーを使わなくていい時のみ利用可。
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女子や、ペーパーを使う時の男子は小学校内のトイレを使う。
小学校のプールの水をくみ上げて、その水で流す。


亘理小学校には自衛隊の人が給水に来てた。
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私とTATSUで運んだ今回の物資は、

・山元町役場で行われてる炊き出しの食料
・亘理郡役場から亘理小学校、亘理中学校、亘理高校への配給

に使われます。

UKEYからの昨晩の話し曰く…

『亘理小学校での今夜の食事で初めてカップ麺が出たみたいっす!!』

って♬


私が生まれて初めて『大人買い』を達成させたあのカップ麺達だとしたら、
この上ない幸せだハート


~後半へ続く~


bless you, always
SAY