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夜の音楽 蓮の花 記念撮影

会場にいるミュージシャンはどうぞ!との事でサックス仲間(東くん、松下くん)、パーカッションのゆかぽんさんにも入ってもらった。

終演後も盛り上がり楽しいひと時だった。

次回「夜の音楽」は11月6日@横浜エアジン
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今日も読んで下さりありがとうございます。


ここから先はメモです。

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昨日は、広島に原爆が投下されてから70年の節目の日だった事もあり、蓮の花をテーマにそれぞれの想いを持って過ごした時間でもあった。

メンバーのお許し?ご厚意で書き下ろしを一曲演奏させてもらった。

タイトルは
「そして、それから…。~地底と夜を繋ぐ蓮の花~」


曲は、地底に溜まるエネルギーが蓮によって吸い上げられ、その花が咲いた時、エネルギーが光となって螺旋を描きながらが夜の内側に入っていく絵を思い浮かべながら書いた。

タイトルには、「過去の話している語部の姿」と「その語部を客観視する未来」を両方含む「時間軸」を表現できるようなものにしたいと思ってつけた。

決して「語部」や「話の内容」、また「物事の良し悪し」ではなく、それらが内在する時間軸のみが音になればと思っていた。

夜には、昼には見えないエネルギーが内在しているように感じる。

それは、サンサーンス「死の舞踏」のもとになっているアンリ・カザリスの詩でも描かれているような「死が生きる時間」または「死に近づく時間」なのかもしれない。


また以前、ポール・ヴルジェの詩「Beau Soir」で読んだ時の衝撃と感動は大きいものだった。

Beau Soir

Lorsque au soleil couchant les rivières sont roses,
Et qu'un tiède frisson court sur les champs de blé,
Un conseil d'être heureux semble sortir des choses
Et monter vers le coeur troublé.

Un conseil de goûter le charme d'être au monde,
Cependant qu'on est jeune et que le soir est beau,
Car nous nous en allons comme s'en va cette onde,
Elle à la mer,nous au tombeau.

最後の「波は海へと、私たちは墓場へと」からは、人が美しい流れの中で常に死に向かっている時間が感じ取れる。


日頃、自分にとって「いい事」も「悪い事」もあるし、世の中にとって「いいと思う事」「悪いと思う事」もある。

そういう事を言い出したらきりがなく、ここでは論じない。

音楽の中で、誰にでも平等にやってくる「死」への恐怖と、それらが次々と繋がれていく様子を見てみたかった。

「どう生きるか、どう死ぬか、どう繋ぐか」その内容ではなく、それらを繋ぐ「時間」を見たかった。


様々な価値観が入り混じる中、次に生きるものたちの「時代」や「夜」にそれは繋がれてゆく。

先人が繋いできたものを私たちも今繋いでいる思うと今日も大切な一日だと思えるもの。