勉強哲学 → 寝る前の独り言。 | 方舟ひつじ丸書斎☆さわやかな独り言

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つれづれなるままに・・・要は独り言。やや情感的な言葉の集まり。


今、勉強をしているのは。

この問題を解くために勉強してるんじゃない。


勉強をするのは。

ものを知っているほうが、

いろんなものに気づくことができるからだ。


例えば、 この机の「作り方」を知ってるだけで。

この机がよくできてるな、って見方をすることができる。

または、この机、ここのつくりが甘いな、とか。


知らないと見えない物が、

世の中にはたくさんある。


人生、最近、たいていの人は80年くらいは生きるよね。


つまり、人間は約80年の時間を与えられて、

それを自由に使うことができる。


それを何に使う? って 問われてるんだと思うんだ。


結局、 死ぬまでの時間の間に、

何をやろう? って 

ものすごい長い目線でのプランづくりだと思うんだ。


なんでかっていうと、

1日2日じゃかたちにできないものって、

世の中にはたくさんあって。


例えば 看護婦さんのベテランになるとか。


少なくとも学校に通って免許を取って、

新人看護婦さんになって、

経験を積んでいかないといけない。


年数を重ねないと身につかないものって、

絶対にあると思うんだ。


だから、 5年間つとめること、とか

10年間つとめること、って


それだけで、ものすごく大きな意味を持つと思う。

もしくは、それだけで、大きな「選択肢」になりうると思う。


そういう、

大きな目的を達成するために、

何年使って、そのために何をするかって。


そういう、年単位での、目標達成設計図、だと思うんだよね・・・。



君が、君の人生を何に使うかって。

今すぐ答えを出す必要はないけれど、

それは考え続けないといけないもので。



それで、


いわば 「まだ答えが見つけきれない人に

       とりあえず保留で、その後の選択肢の幅をキープするための場所」


として、 総合高校なり、総合大学ってのは、あるのだと思う。



50年後、80年後を意識して、

選択肢を考えていかなきゃいけない。



この勉強は、

この問題を解くためにあるわけじゃなくて。


君が、君の人生を 50年、60年かけて、

どうやって使っていくかっていう 長い設計図を考えたときに、


今、選べないのだったら、


なるべくたくさんの選択肢を、

未来の自分に与えてあげるために、


例えば、英語ができる自分は、

通訳もできる、海外との交渉役もできる。

貿易もできるかもしれないし、船乗りになれるかもしれない。


そうやって、未来の自分が

選ぼうと思う選択肢が、実現するように。


勉強をするんだよ、って。




その上で。



さわやかの人生は、

旅をするためにあるんだけど。 笑


いや、 それは言葉足らずの表現だわ ・・・


いろいろな物事を体験するために、ある。

違う、いろいろな人間をみるために、ある。


違う、自然とか。

この生命体の営みそのものに興味があるのですよ、多分。



人間が、どうやって

生きていくのか、とか。



変わらないもの、変わるもの、変わっていくもの、 その不思議。

地球が生きているってこと。 その不思議。


この地表って、やっぱり地球の表面なんだと思うし。



うん?

なんかヘンな話になってきてしまいました。


それで、いつの間にか、また1時間くらいたってしまってるし。。。


ま、いいや。

以下、だらだら続行。


↓↓↓

さわやかは。

宗教は「コミュニティ」だと思うので、多分、信じないと思うのですが、


個人的には。

例えば、


人間の体が土に戻って、その組成が炭素でしかないかぎり、

その炭素の一粒一粒が何らかの別の生物に吸収されて、

その後、その生物が卵を排出するときに、

その新しい生命の一部になっても、それはおかしくないと思うから。


たとえ、それが

土の一粒になったときから数えて、

何万年、何億年の時を経た後であったとしても。


そういう、循環は、あるんじゃないかと思ったりして。


そう考えると、

すべてのものは地球の表層で、

朽ちては形作られて、また朽ちて、

(泥人形のイメージじゃないけど)



・・・

・・・



ま。


本格的に眠くなってきたので、

そんな感じで。


マニアックな話だな。。。


まぁそんな、なんていうか、

一体化の思想みたいなものを、

昔、仏教学の授業で習って、

ものすごく 納得したなぁ、とかまぁ、


まぁ、いいや。 (眠)




眠いときは、だいたいろくなことを書かないさ。。。