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一文字で表すとすれば。

 重いトコ一つ抜けて、少しは気がラクに
なったかな?…という感じだけど、雪目の
ような状態で眼がチカチカする。
 …何でPCサイトは皆、白100%なんぞに
するのかねぇ。

で、↓本日のお題。

今年一年を漢字で表すと? ブログネタ:今年一年を漢字で表すと? 参加中
 

 一般的には、今年一年を表す漢字は
『新』だとか。まぁ政治行政を表すとすれば
カタチだけ見りゃそうなんだろうな。
結局、大して新しくなっていないし、変化もして
いない…というのが大方の意見だとは思うが。

 で今回は↓コレとのタイアップみたい。

「ザ・占い」PC版
「ザ・占い」モバイル版


 早速やってみた。で、↓その結果。

2010年のきみを表す漢字は 『冴』

 2010年は、とにかく「冴える」一年だよ。
勘が鋭くなって、気が利くし、相手の気持ちもよくわかるし。
みんなから頼りにされることが増えそう。
「いいこと思いついた☆」ってひらめくことも、
いっぱいあると思うんだ。
 あ。いろんなことに気が回るようになるから、
逆にみんなに気を遣いすぎて、疲れやすくなっちゃうかも。
ストレスは、ためすぎないようにこまめに発散しようね。



 …だってさ。
♪アタマは冴えてるよ(ヘイヘヘーイ)
♪アイディアばっちりよ(ヘイヘヘーイ)
♪でも通るかどうかは別問題(ヘイヘヘーイ)

 そんな事はともかく、今年を表す漢字というと…
去年と同じになってしまうけど『楽』かな。
イヤ「楽しい」とかそっちの明るい方面ではなく
「ラクして云々」の『楽』の方。
あと、もう一つOKなら『略』かな。
コレらは自分よりむしろ、ブログ等のネット世界を
眺めてみてのコト。
 ソレらに対する自分の心情としては『惑』という感じ。

 私事だけど、今月の26日でアメーバのID取得して
丸一年になるワケ。そこから「年末年始にCSSとか
イジってられねーよ」と構築作業をサボりつつ
ついでに仕事もこなし…で、ブログをスタートさせたのが
今年の2月。
 何ともダラけたスタートではある(スロースターター)が
その間、時間の許す限り様々なブログを拝見して
いたのだわ。まぁ研究というか反面教師というかで。

 でまぁ、自分で始めてから…も少し正確に言うと
『河岸を変えてから』…てコトになるがそれはともかく
やっぱり他人に思うコトが一つある。

「君ら、文章読むのも書くのも嫌いだろ。」

 …てコト。もう少し違う言い方だと「苦手」て事か。

 前々から思っていた事だが(ドコかに書いた気もする)
大して長くのない文章を、やたら行間空けて長く見せ
(アレだろうな。携帯なんかだとページまたぐ事に
なってPV数稼げるとかのリクツかも)たり、
絵文字や顔文字、半角カナの多用や「w」の連打で
草生やしたりする(コレらはネットの悪しき慣習)のも
『文章』を作るのを煩わしく思っている為だろう。
 あと、やたら文字色やサイズを変えたりして
「字面にリズムがついた」と錯覚していたりするのも。

 自身がそういう事ばかりやっていれば
他人の書いた長文を読む能力も麻痺する(イヤ元々
持ってないだけかも)ワケで、以前ブログネタでの
金星狙いで長文(というか自分では別にフツーの
事なんだけどな)の記事書いてアップしておいたら
「長過ぎる」なんていうトンチキなクレームついた事が
あったっけな。

 文章が長いという事は、それだけ「言いたい」または
「伝えたい」という内容があったりするのが普通
…まぁウチのブログは違うかもしれないが…なのだが
「ブログなんて面白おかしくテキトーに文字載せときゃ
イイでしょ」という先入観に縛られているヤツには
それが全く理解できないだろうな。


 『読む能力の麻痺』という観点で語るとすれば
ウチで忌み嫌っている「検索」もソレにあたる。
 先日も、往年のタレントの固有名詞を「物のたとえ」
として使って書いたら、前後の文脈見れば手前ェの
欲する情報なんざ書いてないのがわかりそうなモノ
なのに、その固有名詞の文字列だけでブログの方に
土足で進入して来やがる。
 アメブロ検索を利用するヤツなんてのは
バカの見本市みたいなモノだから論外としても
GとかYで始まる大手サーチエンジンなんぞは
その前後の文脈が検索結果に記されているハズ
なんだから、ホンのちょっと考えればわかりそうな
モノだと思うんだけどねぇ。

 それで検索ヒットした情報を、今度はどうするか
…といえば、それをただ単にコピペして手前ェの
ブログ等にアップして、さも「自分で調べました~」な
そこいらのナマクラ大学生の作成したインチキ論文
みたいなシロモノが一丁出来上がる…という有様。

 何というか、現代は文章が軽んじられている
時代なのかねぇ…と嘆息させられる事が多かったな。
個々人の文章力はひとまずさておくとしても
あまりにも「ラクして自分作ろう」という安易な発想が
大手を振って歩き過ぎ…な気がする。

 コピペ云々についても「何故コピペしたものが
薄っぺらく感じるのか」については解答も簡単。
 そのパイオニアと単なる模倣者の最大の違い、
それはパイオニア側が「自分の手間」をかけて
ソレを完成させた為。
 例えば物事のノウハウを記した文章があって
ソレ実は自身の手を動かしながら、書かれた事を
理解する…という『理屈と感覚の両立』を行う必要が
あるのだが、模倣する側は見ただけでわかったつもりに
なって、自身のスキルとしては反映され得ない。

 「手間をかける、苦労する」て事はイコール「考える」
て事でもある。
考える事をヤメたらそりゃ得るモノなんてありゃしない。
どんな事でも『楽』は禁物なのだわ。

 過程をスッ飛ばしてすぐに結果を求めるような
安直な行為はご法度。その過程にこそ『経験』という
重要な要素がある。
 それを怠ると、一つの物事に対して一つの解答しかない
…と結論づけてしまうような、どーしようもない輩になる。
検索バカな連中にはこのテの輩が多くて、俺としては
どーにも納得行かないのだがな。



 『ラノベ』てジャンルが少し前からあるだろ。
正しくは『ライトノベル』とかいう、要するにジュニア小説。
アレの中身なんてのは、ブッ壊れた文体とウケ狙いの
表現ばかりで内容に乏しく、個人的にとても読む気には
なれない代物ばかりで辟易する。
 でも中高生のガキ共は字読むのが苦手で嫌いだから
こういうカタチでなければ読んでくれない…とか。
 その代わり、そういう文体に慣れきってしまった連中、
その中で本式の書籍に移行しようとするヤツは
ごく僅か、それも数える程でしかないよな。

 書籍といえば、誰が言い出したのか知らないけど
「その書籍の後書きを読めば、その作者の言わんと
した内容がわかる」
…とかいうヤツ。
 コレを安直に鵜呑みした結果、本文には全く眼を
通さずに後書きだけ読んでわかったフリして
エラそうに能書きタレているヤツが雨後の筍のごとく
増加したのは、記憶に新しい。
 そうして出来上がった書評とやらに眼を通してみると
同じ本を読んだ立場からしてみれば、的外れな批判
(そう、大抵が批評でなく「批判」でしかない)の
オンパレードだったりする。

 他にもマンガ編集なんかでの現場の話だと
有名なところでは「通勤電車の一区間で連載一本分が
読み終われる程度の内容が望ましい」というヤツ。
 そんな事をしていればマンガの中身なぞ薄っぺらに
なるばかりか、受け手=読者がソレに慣れてしまい
その流れに組み込むワケにいかない本式の作品は
その濃密さゆえに敬遠されてしまう。
 結果、本式はアンケートの人気投票なんかで
敗北を喫し、雑誌は中身スカスカな読み捨て作品の
オンパレードになってしまう。
出版不況だとか何とか言ってみても、実際それは
自縄自縛の末に起きた自業自得だろう。



 上記の話は、あくまでも例として出しただけなのだが
こういったたとえ話もそろそろ、細分化と棲み分けが
進み過ぎて他ジャンルへの食指を動かさなくなる世代に
通じなくなるのかもな。

 少し前の『湾岸MIDNIGHT C1ランナー』にて
登場人物が「トルクとパワーの違いについて言ってみろ」
と例題を出してみて、その人物は
「自転車にたとえれば、トルクはペダルを漕ぐ力、
 パワーはそれで車輪が回る力」と発言し
「専門用語を使うより、わかりやすく伝えりゃいい」旨の
発言していて、俺なんかは「的を得た説明だ」と感心して
いたのだが、上記のような連中にしてみれば
「何でソコで自転車の話になるんだよ?」と
突っぱねて嗤うだけになるかもしれない。


 で、アメーバでもまた『サルマネ不具合ミニブログ』とか
始めただろ。コイツがまた上記の問題点を加速させる
事になるかもしれないな。
 人間が皆、文章力も読解力もなく、ただ散文を
吐き散らしてオシマイなヤツばかりになったら
そりゃ恐ろしい事だわ。
今でさえロクなコミュニケーションもできない
バカチンばかりだというのに。




 来年の俺は『冴』か…。
ひょっとしたらそのテの連中相手にも物事伝えられる
すげぇアイディアが噴出するのだろうかね?
ま、全然期待してないけど。


$Gallery"TEKITOH"-ナギさん

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