【クルマ画】46・輝ける栄冠
「今年もガヴァドンには逢えねーな」などと、
どーでもいい事でも書いちまう沢渡であります。
そんなワケで、漸く仕込みも終わったので
この↓挑戦的なお題にでも回答してみよう。
…イヤ実際ブログネタ対応の画なのだが、今回も。
ブログネタ:再放送してほしいドラマは? 参加中まずは恒例の『出題者イジリコーナー』。
>ジェニーが1番ドラマを見ていたのは、
>小学生のとき
>とくに大好きだったのは、
>『ひとつ屋根の下』です
…アナタ何回ダブってたんですか(笑)。
いや、一行空けているのは「長い時間の経過」を
意味しているのかもしれない(大笑)。
それはともかく、主だった番組や知らなかった番組
それら全部ひっくるめて概ねCS放送で観てしまったので
あまり再放送を希望する番組なんて無いなぁ。
最近のドラマは一見、手の込んだカラクリ満載している
ように見えて、フタを開けると薄っぺらいモノが多くて
再見したくもないし。
…といいつつも、一つだけある。
一応クルマ関係グルっぽの管理人~でもメンバーの
参加意識ゼロ(笑)~のメンツにかけてクルマ系ドラマの
傑作を紹介しておこう。
単発ドラマで、再放送もままならない番組だが。
『ル・マンへ熱き涙を』 1992年6月8日放映
制作:テレビ朝日 東映
監督:山本邦彦 脚本:小川英、朝永振一
副題に『日本初優勝への 男と女の長く熱い24時間』とある。
マツダのエンジニア・菊島(演:古谷一行)の眼を通して
ロータリーエンジンの実用化から'91年ル・マン優勝までを
描いたドラマ。
何だかマツダと東映とテレ朝、三社の深く長い繋がりを
実感させられる陣容でもある。
実際にサルテサーキットでのロケを敢行しつつ、テレ朝所蔵の
中継映像をかけあわせたので、リアリティは非常に高い。
とはいいつつ「事実をもとにしたフィクション」を謳っているだけに
当時のドライバー三人とコーディネイター=ジャッキー・イクス
(コレがまた似てねぇんだが)以外は別の名前をあてられている。
…津々見友彦さん(解説者役)と寺田陽次郎さんは実名で
出演されているが、それ以外の役は別名。
それでも結構豪華なキャスティングなのが驚きモノで
山上部長(実在の山本健一氏にあたる)役が丹波哲郎ボス。
「どうせロケに行かねぇんだろ」と思っていたら、意外にも国内ロケに
参加していたりする。
チーム監督・北見(実在の大橋孝至氏に相当)役には江守徹。
オタ公には『さよなら銀河鉄道999』の黒騎士ファウスト役が
思い当たるのだろうが、個人的には2007年の『お笑いウルトラクイズ』
での「人間性クイズ」の芝居が忘れられない(笑)…とそんな事は
どーでもよく、古谷演じる菊島は架空の人物のようだ。
ワザと「誰か」と特定させない狙いが大きいのだが、
この「名もなき誰か」の目線から見せる苦闘の歴史てのが
感情移入を促すのである。
本編中に「PKO法案が衆院本会議で可決、成立しました」なんて
キナ臭いニュー速が流れるのはともかくとして、それが如実に
表れるのが、家族で瀬戸大橋(コレは東映側の縁)を訪れた場面。
そこで菊島は子供達にこう語る。
「お前達、この橋を設計した人や造った人の名前を知ってるか?
(「知らない」という回答に対して)お父さんも知らないよ。
だがな、名前なんか知られなくたって、その人達はきっと
満足している。
土地の人も我々も…いや、日本中の人々が
喜んでいるんだから!」
しかし世間、とりわけ日本人は異分子に対する風当たりが強く
REに対しても同様であった事が、時間を遡った'70年代に見える。
苦心惨憺の末、世に放ったマツダREはモーターレーシングの世界で
成長、熟成されていくが、オイルショックの煽りを食って状況は一変。
社内では穀潰し呼ばわりされ、共に研究を続けた技術者も去った。
それでもREに関わり続ける菊島。その姿勢を疑問に感じた北見が
そのワケを問うと、以下のような答えが。
「子供の頃は、色んな夢がありました。
パイロット、野球選手、レーサー…皆何処かに消えました。
今の私の夢は、たった一つ…
『この世にロータリーエンジンを残したい』
…それだけです。
だから…是非行って欲しいんです、ル・マンに。
そして、せめて24時間完走して欲しいんです。」
菊島の静かな、しかし熱い想いを受けた北見もまた
「ここで踏ん張らなければ、一生負け犬だ!」
と、マツダスピード単体での参加を目的に動き出す。
スポンサーを求めて奔走する北見は、玩具メーカーに
辿り着く。ムコ養子で肩身の狭い社長(演:藤田まこと。
中村主水かい)はル・マンをロマンス(駄洒落)にかけて
快諾、漸く再びサルテへと赴くことになる。
本編中ではエポック社の商品が並んでいたのだが
実はこの'79年、実際にスポンサードしたのは先日
散々コキおろしたあのオモチャ屋だったりする。
その縁で『バトルフィーバーJ』#17にて寺田さんと、FISCOを
疾駆するRX-7 252iが出演していたりする。
要はその年のル・マンの壮行会みたいな扱いで
それを(番組の設定上)ドライブしていたのは同番組の主人公。
コレがレーサー出身で、#1を観る限りでは
'76年のF1選手権イン・ジャパンにも出場していたらしい(笑)が
「コレでル・マンの優勝も狙えますね!」と寺田さんに言っていた。
…思えばこの頃から、マツダと東映とのタイアップが長く続いて
いたのだな。
話を元に戻す。
時は流れて'91年。つまり本編中のリアルタイム。
ドライブシャフトに不安を抱えつつ、最大のライバルだったベンツが
脱落する中で走り続けるマツダは、遂にトップに。
津々見さん曰く『魔の四時間』を経過しながらも走り続けるマシンは
24時間を無事走り抜き、総合優勝。
翌年にレシプロ3.5リッターNA統一を控え「RE参戦最後の年」となった
この年、四輪では世界唯一(実は同年、二輪のWGP500クラスでは
ノートンがREで参戦していたりする)のREが世界の頂点に立った。
華やかな優勝ムードに溢れかえるピットを背にした菊島は
30年余の苦闘が遂に実った、その事実に感極まり、
テレ朝レポーターの不躾なインタビューにも応えられない。
名演技であります。
今後、REには「性能向上」という命題を抱えつつ、我々はレシプロにて
ル・マンに挑む…と、「今週末にル・マン参戦します」とばかりに
サーキットを疾駆するマツダMX-R01を映し、物語は幕を下ろす。
この番組、是非再放送して欲しいな。
そしてクルマ好きよりむしろ、ブルーカラーの人々に観てもらいたい。
「日本を支え続けてきたのは金持ちでなく、アンタ達だ!」という感じで。
とにかくこのドラマ、「モノを造り、育てる」という、現代の日本で
忘れられがちな事を見事に描ききっているのだ。
「ビジネスモデル」だの「費用対効果」なんて、つまんねぇ枠に
収まる事のない、連携の強さを味わうことが出来る。
(実際、チャージカラーの主は「タニマチ気分」だったとか)
バブル末期の余勢とはいえ、当時の日本人はそんな事ができたのだ。
(C2クラスの時代が尺の都合でゴッソリ抜けているのはともかく)
もう東映チャンネルでもテレ朝チャンネルでもいいから
放映してくれ。ウチのVHSはトラッキングが合わなくて大変なんだ(笑)。
それでもコレ、今流そうとするならACOが高い権利料とか要求してくる
ワケでしょ。CS程度の予算じゃ絶望的ですわな。
ついでに言えばオンエア当時の提供スポンサー。
マツダとレナウンは鉄板ながら、何故かアデランスが名を連ねていた。
寺田さんが出演してるならアートネイチャーが相応しいと思うのだが。
…と、長々と書き連ねてしまったのだが、
本日のクルマ画は同作の主役マシンである↓こちら。

「俺は一体、何台マツダ車を描くのか?オーナーになった事も
ないのに…」という気がしないでもないが
1991年 チャージマツダ787B 55号車。
幾分か広角な感じで描いてみた。
もう「面倒くせーし誰も評価しないからヤメたいコレ…」と
先週やった何かの仕事と同じように半ベソかきながら
描いていたが、Cカーはカッコいいから許す(笑)。
それは今もってナメた態度で接してくる連中へのアテツケ。
日本のJSPCなんかでは地味な存在に過ぎなかった
マツダ勢だが、実はそれらのレースはデータ取り目的で
(勝ち負けはトヨタや日産、プライベートのポルシェに任せて)
本気でル・マンを獲る為のステップだった…という事が
この時わかったよな。
何つってもこの時代、ユーノディエールでの最高速度が
400km/hに達しようという位、過激な性能が追求されていた
(そりゃシケイン2個追加しますわな)頃だけに、その耐久力を
確保するのにも大変だったろう。
後年、同車をバラした写真を幾つか見てみたのだが
「よくコレが24時間、もちこたえられたな」と感心する。
いや感動すらさせられる。感情移入度も大きいだけに。
後に珍車・パノスGTR-1を造ったナイジェル・ストラウドも
イイ仕事したものだと。
ついでに言えば、この年のライバル、
ザウバーメルセデスC11のドライバーには、後に
『ウマの皇帝様』になるシューマッハ(兄)が参加していた。
この頃はまだベンツっ子(ヤないい方)だったんだよな。
何といってもその心臓部・R26B。
バラしてみると本当に、先パイ連中に付き合って組んでいた
12Aや13Bと大差ない印象で(その部材は大違いだろうけど)、
「市販エンジンの延長線上」という説得力は非常に大きい。
当時の中継を観ていた時、23時に再開された映像で
トップを走る姿に「勝つのか?ホントに勝つのか?」と
気を揉んでいたのを思い出す(ガキだったから実はそれが
一時間遅れの映像だとは知らなかった)。
それで本当に優勝した時は感動したよなぁ。
当時ホンダがいくらF1で勝利重ねても(セナファンには悪いが)
感動なんかしなかったけど、アレは格別。
他のレースと違ってル・マンの場合、最後にマーシャルが
コース脇に並木のように立って、キレイに旗を振ってくれる。
あの「よく頑張ったなぁ」な雰囲気がたまらなく好きなのだ。
そして、その頂点に日本のクルマが輝いた。
その輝きが今も忘れられない。
物凄くど~でもいい事かもしれないが蛇足として、
その時のRQのカッコが↓こんな感じ。

時代が時代なだけにハイレグだが
幼児体型には全く似合わない事がよーくわかった(笑)。
(本記事の参考文献:『Racing on』2007年6月号)
