【クルマ画】8・零、そして
そういえば'91年頃の事だったか。
知り合い数人とクルマ談義に花咲かせていた時、そのうちの
一人(アニメ等にうつつを抜かすオタ公)が
「そういえば昔『童夢-零』ってあったけど、
童夢って今どうしてるの?」とニヤケながら訊いてきた。
その言い草がまるで、一発屋で終わった歌手の落ちぶれざまを
あざ哂うような態度だった事に腹を立て、その後のル・マン挑戦や
国内外での耐久レースにおけるトヨタとの蜜月と決別、そして
今では国内有数のコンストラクターとして君臨している旨を
自身も受け売りながら説明しておいた。
まぁ所詮「自分の知識が世の中全て」みたいな性格の持ち主の上、
当時のF1中継における『貴公子セナvs悪のプロスト』みたいな
古館アングルを盲信していた輩なので、通じたとは思えんが。
それはともかく、前回の流れで、恥ずかしながら
↓描いてみる。

童夢-零。1978年ジュネーブショーにて発表。
4000ミリを切る全長、1000ミリ以下の低い全高を持つボディに
日産L28+三国ソレックスPHHを三連装。リアブレーキは
インボードディスクとなっている等、その造りは当時の
レース車輌(フォーミュラなりGCマシンなり色々)に近いが
驚くべきはそのスタイリング。
真横から見た形状は『童夢へ』を読んでいると成る程、
マクランサ・クサビの延長線上にあるスタイルだとわかるが
キャビン周りの造形が独特。
危うく横腹と一体化しそうなロールバー部を基点として
前後に強く絞り込まれていく造形ってのは、海外でも同列に
扱われるスーパーカーやスタイリング・スタディ(例えば
イタルデザイン/マセラティ・ブーメランとか)にも無い
独特な意匠だろう。
…などと偉そうに講釈タレるのも何なのだが、何故描いて
みたかといえば前書の影響と「カッコいいから描いてみたい」
コレに尽きる(「ヒマだったから」とは言わない)。
スタイルのみならず、ペダル周りに意匠とか「さすがは
レース屋さんの造ったクルマだ」と感嘆モノだし、独特…と
いうか正直飛び過ぎな感もあるステアリング(市販されてたな)
や内装アレコレも、後のステーショナリーグッズを彷彿と
させる感じ。
Eg周りはね、想像つくんですよ。
昔S30ZでL型やってたから。あの独特の「ドットットットッ…」
というアイドリングから、軽量ボディには十分のトルクで
立ち上がる感じとか。
そして、改めて零を写真で眺めていると、このクルマに
ナンバーがつかなかった(認可が下りなかった)経緯も含めて
以前『ノスタルジックヒーロー』誌(芸文社)にて受けていた
インタビューの一文を思い出すのでありマス。
(以下、同書より一部引用)
「日本ではわれわれのような立場の者が自動車を製作するには、
あらゆる意味で難し過ぎる環境であるという気がします。
一般的に変わった出来事や創造性に対する価値判断が
ひじょうに消極的ですね。計画を一歩進めるごとにリスクは
かえって増大していき、どんな楽しい計画も最後はつまらない
ものになっていきます。
結果的に小手先だけの技術レベルだけが向上していき、
それを支える文化はいつまでたっても育ちません。」
(引用おわり)
…クルマの世界だけじゃないわなぁ、こういう事は。
誰もがこういう事を「しょうがない」「当たり前」時には
「よくある事」で済ませているから、ダメになっていくんだと。
それはともかく、背後にあるのはトムス84C。
スーパーシルエットで協力していた関係からか、国内の耐久
レースでも童夢がボディを担当したマシンですな。
ちなみに絵の方はデビューレースとなった1984年の
富士500kmレース出場時の姿。活版ページの、しかも逆向きの
写真を参考にしただけに(細かい所はタミヤの模型を参照)、
細かい所は違っているかも。
しかしこの頃のCカーはまだ4発(トヨタ4T-GT改。日産の
場合はLZ20Bターボ)だったというのが「時代だなぁ」て感じ。
そして車名がマーチやノバと同じで、何年のどのカテゴリーか
わかりやすいのもポイント。
そういや零のスタイリングに影響を受けたクルマが、
架空の世界に↓ありましたな。

『サイボーグ009('79版)』のストレンジャー号。
009=島村ジョーの愛車として登場したが「アンタ自分の足で
走った方が速いでしょ」というなかれ。
マーチャンダイジングという事情があったのだ。
知り合い数人とクルマ談義に花咲かせていた時、そのうちの
一人(アニメ等にうつつを抜かすオタ公)が
「そういえば昔『童夢-零』ってあったけど、
童夢って今どうしてるの?」とニヤケながら訊いてきた。
その言い草がまるで、一発屋で終わった歌手の落ちぶれざまを
あざ哂うような態度だった事に腹を立て、その後のル・マン挑戦や
国内外での耐久レースにおけるトヨタとの蜜月と決別、そして
今では国内有数のコンストラクターとして君臨している旨を
自身も受け売りながら説明しておいた。
まぁ所詮「自分の知識が世の中全て」みたいな性格の持ち主の上、
当時のF1中継における『貴公子セナvs悪のプロスト』みたいな
古館アングルを盲信していた輩なので、通じたとは思えんが。
それはともかく、前回の流れで、恥ずかしながら
↓描いてみる。

童夢-零。1978年ジュネーブショーにて発表。
4000ミリを切る全長、1000ミリ以下の低い全高を持つボディに
日産L28+三国ソレックスPHHを三連装。リアブレーキは
インボードディスクとなっている等、その造りは当時の
レース車輌(フォーミュラなりGCマシンなり色々)に近いが
驚くべきはそのスタイリング。
真横から見た形状は『童夢へ』を読んでいると成る程、
マクランサ・クサビの延長線上にあるスタイルだとわかるが
キャビン周りの造形が独特。
危うく横腹と一体化しそうなロールバー部を基点として
前後に強く絞り込まれていく造形ってのは、海外でも同列に
扱われるスーパーカーやスタイリング・スタディ(例えば
イタルデザイン/マセラティ・ブーメランとか)にも無い
独特な意匠だろう。
…などと偉そうに講釈タレるのも何なのだが、何故描いて
みたかといえば前書の影響と「カッコいいから描いてみたい」
コレに尽きる(「ヒマだったから」とは言わない)。
スタイルのみならず、ペダル周りに意匠とか「さすがは
レース屋さんの造ったクルマだ」と感嘆モノだし、独特…と
いうか正直飛び過ぎな感もあるステアリング(市販されてたな)
や内装アレコレも、後のステーショナリーグッズを彷彿と
させる感じ。
Eg周りはね、想像つくんですよ。
昔S30ZでL型やってたから。あの独特の「ドットットットッ…」
というアイドリングから、軽量ボディには十分のトルクで
立ち上がる感じとか。
そして、改めて零を写真で眺めていると、このクルマに
ナンバーがつかなかった(認可が下りなかった)経緯も含めて
以前『ノスタルジックヒーロー』誌(芸文社)にて受けていた
インタビューの一文を思い出すのでありマス。
(以下、同書より一部引用)
「日本ではわれわれのような立場の者が自動車を製作するには、
あらゆる意味で難し過ぎる環境であるという気がします。
一般的に変わった出来事や創造性に対する価値判断が
ひじょうに消極的ですね。計画を一歩進めるごとにリスクは
かえって増大していき、どんな楽しい計画も最後はつまらない
ものになっていきます。
結果的に小手先だけの技術レベルだけが向上していき、
それを支える文化はいつまでたっても育ちません。」
(引用おわり)
…クルマの世界だけじゃないわなぁ、こういう事は。
誰もがこういう事を「しょうがない」「当たり前」時には
「よくある事」で済ませているから、ダメになっていくんだと。
それはともかく、背後にあるのはトムス84C。
スーパーシルエットで協力していた関係からか、国内の耐久
レースでも童夢がボディを担当したマシンですな。
ちなみに絵の方はデビューレースとなった1984年の
富士500kmレース出場時の姿。活版ページの、しかも逆向きの
写真を参考にしただけに(細かい所はタミヤの模型を参照)、
細かい所は違っているかも。
しかしこの頃のCカーはまだ4発(トヨタ4T-GT改。日産の
場合はLZ20Bターボ)だったというのが「時代だなぁ」て感じ。
そして車名がマーチやノバと同じで、何年のどのカテゴリーか
わかりやすいのもポイント。
そういや零のスタイリングに影響を受けたクルマが、
架空の世界に↓ありましたな。

『サイボーグ009('79版)』のストレンジャー号。
009=島村ジョーの愛車として登場したが「アンタ自分の足で
走った方が速いでしょ」というなかれ。
マーチャンダイジングという事情があったのだ。