新日本プロレスのIWGPヘビー級ベルトとIGFのIWGPヘビー級ベルト。
2本のIWGPベルトが存在し、互いにわが団体のベルトが本物で向こうはニセモノと言い切る。
なぜこのような事態になってしまったのか。
2005年10月8日、藤田和之のIWGPヘビー級選手権・初防衛戦は、藤田和之VS蝶野正洋VSブロック・レスナーの3WAYマッチになった。
藤田とレスナーの一騎打ちなら違った結果になったかもしれないが、レスナーが蝶野に必殺フェイスバスター(F5)を決めて勝利し、レスナーが第44代IWGPヘビー級チャンピオンに君臨した。
2006年1.4東京ドームで、長州力現場監督は、レスナーに勝てる選手として中邑真輔の名前を挙げた。
しかし中邑もレスナーに敗れてしまった。
その後、7月17日に札幌で防衛戦を行う予定だったが、レスナーと新日本プロレスが契約上の問題でトラブルになり、レスナーがタイトルマッチをキャンセル。
新日本プロレスはレスナーのIWGPヘビー級王座を剥奪した。
ところが、納得いかなかったのか、レスナーはベルトを返却しない。
新日本プロレスは7月17日、札幌でIWGPヘビー級王座決定トーナメント戦を行い、優勝した棚橋弘至が第45代IWGPヘビー級王者になった。
2007年4月13日、棚橋を破り永田裕志がIWGPヘビー級王者になる。こうして新日本プロレスのリングでは今まで通りタイトルマッチが行われていたが、同年6月29日に事件が起きる。
アントニオ猪木が「もう一度本当のプロレスを復活させる」とIGFを創立し、その旗揚げ戦のメインで勝手にIWGPヘビー級選手権試合を行ってしまったのだ。
王者ブロック・レスナーに挑戦するのはカート・アングル。
IGFファンは「こんなドリームカードを組めるのは猪木さんだけ」と誇らしく思った。
しかし新日本プロレスからしてみれば「ちょっと待った!」だ。
確かにこんなことが許されるのは何でもアリのアントニオ猪木だけかもしれない。
試合は、カート・アングルがレスナーを必殺アンクルロックで破り、新チャンピオンになってしまった。
新日本とIGFの2団体でIWGPヘビー級選手権を行っているという事態になり、新日本は困惑する。
新日本側はIGFのIWGPベルトはニセモノと断言するが、IGFは聞かない。
厳格にベルトを管理しているプロボクシングの世界では考えにくい事態だが、アバウトなプロレス界のメリットとデメリットが浮き彫りにされた。
もしかしたらこれも遠大なストーリーなのか、それともガチな事件なのか。
ただ、永田がカート・アングルが持つIWGPベルトに挑戦を表明するということは、全くIGFを無視しているわけでもなさそうだ。
そして、そのタイトルマッチをIGFではなく新日本プロレスのリングで行うということは、IGFも新日本を完全に無視しているわけではないのだろう。
あるいはIGFは関係なくカート・アングルの意思なのか。
2007年当時は今ほどネットが普及していなかった。
個人ブログが流行したのは2005年で、ケータイ小説が始まったのが2007年。
今のようにYouTubeで数え切れない人がプロ・アマ問わずプロレスの裏話を発信する時代は、まだずっと先だ。
裏には大人の事情があったかもしれないが、当時のファンは東スポと専門誌が主な情報源。
真相はわからない。
ともかく2008年1.4東京ドームでカート・アングルVS永田裕志のIWGPヘビー級選手権試合が決定した。
何と同日に棚橋弘至VS中邑真輔のIWGPヘビー級選手権試合も行われるという前代未聞のWメイン。
2007年12月10日、永田は敵陣のIGFに乗り込み、解説者として放送席に座った。
永田は、カート・アングルVSケンドー・カシンの試合を解説する。
ここはカート・アングルがカシンに圧勝して永田と睨み合いというパターンが予想されるが、そこは空気を読まないカシン。甘くなかった。
カシンは鬼のような強さを見せてカート・アングルを追い込んでいく。カシンの闘いっぷりには余裕すら感じられた。
カート・アングルのアンクルロックをカシンが高速回転エビ固めで切り返し、あわやフォールというシーンもあった。
永田はヒヤヒヤしただろう。
表向きは仲間のカシンを応援しているが、カート・アングルには1.4東京ドームまで無敗でいてくれないと締まらない。
もしもカシンが勝ってしまったら全く洒落にならない。
永田をハラハラさせたカシンだが、最後はカート・アングルがアンクルロックで勝利した。
2008年1.4東京ドームで、永田がカート・アングルからIGF版IWGPベルトを強奪して封印・統一すれば一件落着だ。
実力で取り戻すのが最もプロレス的だと永田は燃えていたにちがいない。