ミュージックフェアに矢沢永吉ボスが登場。

 

18時からの放送だから、大相撲春場所を観終わってすぐにフジテレビを観た。

 

私は年上のプロレスラーや芸能人もほぼ敬称略で書いているが、どうしても呼び捨てにできないのが、矢沢永吉ボスと横浜銀蝿の嵐さんと翔さんだ。

 

嵐さんはもういないが、それは関係ない。ただのファンを越えた特別な存在だと、やはり敬称略にはできない。

 

きょうのミュージックフェアは矢沢永吉ボスオンリー。

 

1曲目は「But No」を歌い、2曲目はギターを奏でながら「ラストシーン」を歌った。

 

そしてイスに座りながらのトーク。

 

矢沢ボスは、昔、コンサート中に観客同士の喧嘩がしょっちゅうあったことを振り返る。

 

大勢で大乱闘になると警備員も止められないし、コンサートが中断してしまう。

 

大ひんしゅくもいいところで、帰れコールの大合唱が起きる。

 

私も東京ドームができたばかりの頃に矢沢ボスのライブに2回行ったが、あの頃はまだ柄の悪いファンが多かった。

 

純粋な女性ファンが「永ちゃんのコンサート行きたいけど怖くて行けない」と言っていたが、これは矢沢ボスにとってもマイナスでしかない。

 

今はもうそんなことはないと思うが、昭和の時代はロックを勘違いしてしまっているファンがいたため、歌手もバンドも命懸けだった。

 

3曲目は名曲「ADAY」を熱唱する。本当にいい曲だ。

 

ただステージで歌うだけでなく、MVのように凝った演出で視聴者を魅了する。

 

かつてボスは「矢沢永吉をプロデュースできるのは矢沢永吉しかいない」と語っていたから、今回もきっとフジテレビのスタッフ任せにせずに、演出に携わったのだろう。

 

またトークが入り、横浜を語る。

 

故郷の広島から東京を目指して来たはずなのに、なぜか横浜駅で下りて、夢がスタートする。

 

目標はザ・ビートルズ。

 

夢は大きければ大きいほどいい。笑う者には笑わせておけばいい。

 

18歳で夢を追いかけて、命に関わる極貧生活を体験し、23歳でデビューした矢沢ボス。

 

その後、魂のシャベルで金を掘り起こし、28歳でスーパースターになった。

 

インタビューで「デビュー当時は、まさかここまでなるとは思わなかったでしょう?」と聞かれた。

 

しかし矢沢ボスは真顔で「いえ、これくらいにはなると思ってましたよ」と答えた。

 

夢追人はこの気持ちが大切だと思う。誰が信じなくても自分だけは自分の力と才能を信じる。

 

その根性がなければ果てしない夢を追いかけることはできない。

 

4曲目は私も大好きな「ニューグランドホテル」

 

矢沢ボスがライブで「この曲作った時オレ天才かなと思った」と言ったのが「ニューグランドホテル」だ。

 

歌詞もメロディもたまらない。名曲中の名曲だと思う。

 

昨年、74歳で18回のステージ。

 

『成りあがり』では「50歳まで歌っているか?」という話をしていたが、今年の9月14日で75歳。

 

まだまだ歌い続ける。止まらない88で米寿まで歌い続けるか?

 

でも本人は体が「ギリギリ」だと語っていた。

 

ラストの5曲目は「背中ごしのI LOVE YOU」

 

 

私が横浜銀蝿のファンになったのは中学生の時だった。翔さんに憧れ、嵐さんが書いたエッセイ『散りぎわ 死にぎわ』を読んで深く感動し、夢を追いかけた。

 

しかし現実は厳しく、プロレスラーになる夢も俳優になる夢も断念し、まじめに会社員になって、人生設計も立てた。

 

そんな時に矢沢ボスの『成りあがり』を読んでしまった。

 

感動とは違う。この本は読むべきではなかったかもしれないと思った。人生設計がクラッシュした。

 

スタン・ハンセンのウエスタンラリアットでダウンを奪われたあとにブルーザー・ブロディのキングコングニードロップを食らったような衝撃だった。

 

比喩が偏っている?

 

もっとわかりやすく表現すると「止まらないHA-HA」でギブアップしているのに「トラベリンバス」が炸裂するような衝撃!

 

エルヴィス・プレスリーのコンサートで失神する気持ちがわかった。

 

そういう話ではなく・・・『成りあがり』を読んで再び果てしない夢を追いかける夢追人の人生を選んでしまった。

 

後悔はしていない。

 

1986年のミュージックフェアに登場したのが、初だったと思うが、矢沢永吉ボスの「止まらないHA-HA」を聴いて虜になり、熱烈大ファンになった。

 

人生を変えるほどの触発。もはや単なるファンとは最初から違っていたのだ。