2000年4月14日、新日本プロレスの気仙沼市総合体育館で事故が起きた。

 

試合中に福田雅一が大怪我をして、試合後意識不明の重体になり、緊急入院。

 

4月19日、急性硬膜下血腫になり帰らぬ人となった。

 

まだ27歳の若さ。あまりにも早過ぎる旅立ちに多くの人がショックを隠し切れない。

 

1999年10月のシリーズで福田は、硬膜下血腫のため約4ヶ月の長期欠場をしていた。

 

試合中の技というより、この時の後遺症かもしれないと言われている。

 

 

この頃、大仁田厚がひたすら長州力を追いかけ回していた。

 

アントニオ猪木との電流爆破マッチが実現不可能と知ってからは、長州力一筋。

 

「狙うは長州の首一つ」と長州以外は眼中にない勢いだった。

 

大仁田に「長州はもう引退した選手だから」と言っても全く聞く耳を持たない。

 

すでに新日本のリングに何度も上がって試合していた大仁田は、バックステージで長州と一触即発になったこともある。

 

大仁田は「あの目は引退した人間の目じゃない」と長州の闘う魂を見たのだ。

 

長州も最初は「ない」と言っていたが、福田雅一の死が長州の心を変えた。

 

福田はもう試合したくてもできない。しかし自分はプロレスをやろうと思えばできる。

 

それなのにやっていない。こんなもったいない話はない。

 

長州はそういう趣旨の話を周囲に語っていた。

 

そして、大仁田厚とのシングルマッチを受けた。

 

ただ、まだ電流爆破マッチをやるかどうか、ルールは決定していなかった。

 

いずれにしても福田雅一の存在が長州力の心を動かしたのだ。